その1 | 人前で弾きたいか、自分だけの楽しみか | ||
人前で弾きたいのか、 自分だけの楽しみか |
おじさん初心者がジャズピアノを習い始める場合、「人前で弾きたいのかどうか」はとても大きな選択肢だ。「人前で弾くことを求めない」のなら、いろいろ深く考えるのはやめて自分だけの演奏を楽しむのがいい。おじさんのピアノは上達が遅いし練習が出来る時間も少ない。「人前で弾かない独り弾き」を目標にするのはよい選択だ。音楽教師の立場からすれば、教えるからには正しい音楽を提示しなければいけないが、人前で弾かないアマチュアおじさんは全てを構う必要はない。テンポが揺れてもいいから、早く弾けて気持ちのよいところは早く弾き、難しいところはテンポを落として弾いてもよいだろう(本人が気持ちよければ・・・)。好きな部分だけを何回も弾いて、弾けないところはそのまま放って置いてもいい。それが「人前で弾かないよ」と宣言してピアノを楽しむおじさんの特権だ。余談になるが、私は「エリーゼのために」の練習で、導入部の16小節はテンポ140で弾けたが後半部は100でしか弾けなかった。教本のレコードでは160だった。それで導入部だけを練習して160で弾けるようになった。後半部は100のままだった。多くのひとは「それではいけない」と言う。導入部を160で弾けるように練習する時間があるのなら後半部を集中的に練習して「全曲通して130で弾けるようになりなさい」と助言する。だが導入部だけでも160で弾けてみると「エリーゼのために」の曲想、テンポ感が変わる。おさらい会でテンポ130の「とろいエリーゼ」を聴いていた僕は、テンポ160で弾く「エリーゼのために」の素晴らしさを知った。テンポキープを金科条にすると、その楽譜の一番好きな部分を自由に楽しめない。「エリーゼのために」はサビでの曲想が変わる。サビの頭で一呼吸置いてはっきりとテンポをかえれば(ただしそこからの遅いテンポはキープする)さしておかしくはない。ただしテンポを替えて自分なりに弾いているという自覚はもっておきたい。将来の上達のためには「正しい」と「自分なり」との分別は大切だ。「人前では弾かないが正しく弾きたい」というひとを留めているのでは決してない。「人前で弾かない独り弾き」宣言には「自由に楽しむという特権がある」というのが私の信条だ。 「人前で弾きたい」と思うなら全く違う。人前といっても「家族や親しい知人の前だけで弾く」のと「不特定多数の人の前で弾く」のとの2種類ある。 家族や親しい知人の前だけで弾くのなら、ある程度の規範を守るだけで充分だ。止まってもいいし、少々のテンポの揺れは構わない。それよりも「曲を最後まで弾くこと」と「一生懸命で楽しんでいるという姿勢を体現すること」が大切だ。遊びといえども、楽しまず途中で投げ出すような自堕落や意志薄弱を家族や知人に晒すことは、家長たるおじさんにとって最も不本意で避けるべき所作だと思う。そのためにはかなりの練習が要求される。 不特定多数の人の前で弾きたいと思う場合は厳しい規範がある。まずは「決して止まらないこと」または「もし止まっても決して途中でやめないこと、即ち必ずエンディングまで弾ききること」が最低条件として求められる。「決して止まるな」は初心者おじさんにはあまりにも厳しい。「途中でやめないこと」を守るのがアマチュアおじさんの命題と思う。私が初めて酒場のピアノを弾かせてもらったとき、途中でやめてマスターに叱られた。「止まってもいいから決して途中でやめるな」。これは「最後まで弾いてもよい、最後まで聴いてやる」という意思表示なので、正しくアマチュアに対する優しい励ましだ。これに対して「止まってはならない」との指導には初心者アマチュアに対する優しさはない。「止まるな」というほどアマチュア初心者に厳しい要請はほかになく、決して止まらない技量と自信をアマチュアに要求するのは本来は無理・非道だからだ。そういったところでは「アマチュアは弾かない」のが正しい選択だ。話が脱線したが「人前で弾くことを目的にするかしないか」はピアノを練習するうえで絶対的とも言えるほどの大きな違いがある。どちらを選ぶかの決断はたいへん重要だ。 「ジャズ曲を1曲だけ完成させて人前で弾く」という方針は私は薦めない。できないことはないと思うが、ジャズ系の場合は場慣れやジャズ慣れが重要な要素なので、1曲だけ仕上げてそれらを満たすことは難しいと思う。1曲入魂ならばクラシック系の方が適していると思う。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年5月25日記 |
その2 | 独り弾きがしたいのか、アンサンブルがしたいのか | ||
独り弾きがしたいのか、 アンサンブルをしたいのか |
独り弾きをしたいのか、アンサンブルをしたいか。これも大きな選択肢だ。どちらが難しいという技術の問題ではなく、明確な意志を持っていないと時間的に無理が生じるという意味だ。 独り弾きは多くの自由がある。「酒場のカウンターにほろ酔いで座って気分が乗ったらポロポロとピアノを弾く」なんて情景におじさん達は憧れる。仲間を集める必要はないし、好きな曲を好きな所で弾けるし、練習も自分の都合に合わせて出来る。ジャズの独り弾きはかっこいい。時間的制約が多いおじさんには独り弾きの練習のほうが好都合が多い。 ジャズの場合、独り弾きピアノは実は難しい。上達すればするほどに難しい。ピアノを弾く高い技術やジャズの深い感性を要求される。つまりスウィング感を独りで表現しないといけないし、テンポキープも求められる。左手のランニングの修得が必要だし、なにより自分一人でジャズ感を養い修得し表現しなければならない。スイング感はドラムやベースと合わせていくうちに自然に覚えるという面が多いし、テンポキープはアンサンブルで要求されていつの間にか体得することが多い。ジャズをするための技術やニュアンスを覚えるという点では独り弾きは難しい。よほどジャズの才能とセンスに恵まれた人は独り弾き練習だけでも上手なジャズピアニストになれるが、普通のひとは独り弾きの練習だけではなかなかジャズにならない。ともかくジャズ教師に習うのが早道と思う。おじさんのピアノはジャズである必要はないから、構わず、ちょっとジャズ風味のするポピュラーの独り弾きを楽しむのも素晴らしいと思う。 アンサンブルを演るためには一定以上の技術が要求される。その技術に到達しなければ仲間に入れてもらえない。ゴルフで言うHD36をクリアするまではゴルフ場にでられないのと同じだ。またジャズをする仲間、それもベース・ドラムスというジャンルの仲間が同じ地域に偶然居合わせる好運が必要だ。私は当初からアンサンブル演奏を目指したが、5年間は技術不足で仲間に入れてもらえなかった。そして「ようやく技術がレベルに達したときには適当なバンドがない」という巡り合わせで暗澹の時期を経験した。アンサンブルの場合は自由気ままは許されない。規則(コート進行やテンポ)を守って曲を仕上げる覚悟が必要だ。ジャズらしさの表現も要求される。音楽技術だけではなく、バンドを継続するためには協調や奉仕の精神も求められる。などなど苦労も多いが、その替わりジャズ独特の即興性や意外性を楽しむことが出来る。「アンサンブルを選択するのがよい」と言っているのではない。それぞれの人が自分にあった道を選び目的を明確にして取りかかる必要を強調したい。本人が目的を明確にしなければ指導する側も方針がたたない。また黙ってピアノ教師の指導に従うだけでは自分の望みは手に入らない。大人の経験と知恵を活用することが大切だ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年5月25日記 |
その3 | 人前演奏で平静心を保つこと | ||
人前演奏で 平静心を保つこと |
同じような力量のメンバーが集まった仲良し仲間での練習ならば予定の2時間の練習時間を全部使って弾きまくれるだろう。けれど初心者ピアニストに2時間も弾き続けることを許すバンドの技術レベルは低いと推察する。よほど共演者が我慢強いか、共演者も同程度の初心者レベルでないと長続きしないのが普通だからだ。初心者レベル同士での練習を否定するのではない。そのような恵まれた環境を得られた好運を大切にして、バンドみんなで共に上達しようという意志と協調心をもって続けて欲しい。 上手のメンバーに入って練習する場合は時間(曲数)が制限され、実力に応じて時間配分がなされる。初心者の立場から見ても、上手と演る精神的な圧迫感や緊張に長い時間は堪えられない。最初は1曲終われば頭が真っ白になり、2曲目はハチャメチャになることも多い。1日1曲から始めて徐々に曲数を増やすというステップアップが自然だし、またバンド仲間からもそのように要求(指示)される。私もその時期を経験した。そして3年たって1回の練習日に4曲程度参加できるようになった。時間で言えば20分程度だ。技術的にも精神的にも一段落を味わった時期だった。 それから3年間毎回トリオで2曲、歌番で2曲程度の練習が続いた。その頃から演奏しているときの自分のマインドコントロールに向上が見られないと感じるようになった。演奏時の精神・肉体的なコントロールや力の配分の大切さを、理解はしたが制御は出来るようにならなかった。 週1回の練習日を心待ちにしていると、練習当日はこの1週間に練習したことが出来るかどうかを試したくてウズウズする。1曲目から練習してきたフレーズをいきなり弾こうと意気込む。新しいメンバーが入ってすぐは、みんなに戸惑いと緊張があり探り合う。だから「周りをよく聴いてみんなと呼吸を合わす」ことが大切だ。なのにビンビンにテンションを上げて入って、いきなり暴れ回って勝手に自爆する。毎回その繰り返しだった。 大きな転機になったのはバンドに入って7年目に演った個人ライブだった。40分2ステージだった。「40分間あるということの素晴らしいさ」と「40分もあるという大変さ」の両方を体験できた。80分もあるのに1曲目から全力疾走したら30分でヘトヘトだ。はじめに力み過ぎて大きなシクジリをしたらなかなか平静心は取り戻せない。慎重に注意深く始めて、徐々に自分を高めていくように心がけた。それが出来るように曲順も考えた。自分の能力を80分間に配分して演奏する考慮と経験は大きかった。 「1曲目は軽く流して周囲と調整し、2曲目からテンションを上げて、3曲目に本格発進」といった「1ステージで自分の音楽を表現するというトレーニング」は1日2〜3曲ではなかなかできない。2〜3曲ではいきなり全力発進せざるを得ない、そんな気分に陥りがちだ。その後、永く演奏する機会を得たときは、自分の力の配分を考えて1日の練習の中で自分の音楽を完成させることに心がけた。 2000年にジャズストリートに出たのが次の大きな転機だったと感じる。30分2ステージをプランしての「30分通しの繰り返し練習」は1曲1曲をばらばらに練習するのとは違った訓練があった。曲想やテンポが曲ごとに大きく変わる曲並べをしたので、曲と曲との間で明確に素早く確実に曲想の切り替えが行える技術が必要だった。「1曲1曲だけではなく30分ステージの中で音楽を提供する」という大きな音楽感を鍛えることが出来た。このジャズストリート以降、演奏中のマインドコントロールがだんだん出来るようになってきたと感じている。 要するに与えられた演奏時間によって出来ることは決まってくる。また実力以上のことが要求されても出来るはずがない、と悟ったと言うことなのだろうか。たとえば飛び込みの1曲参加の時は「息巻かずに軽くご挨拶代わりに弾き終えておく」といった心のもち様が出来るようになった。演奏中に安定した精神状態を維持出来るようになるためには、1ステージを維持する練習と経験が必要なのだと思っている。 追補:なにしろ一番緊張するのは大コンサートでの1曲勝負ですね。2002年800人の聴衆の前での演奏はうまく自制出来ませんでした。1曲だったのです。アワアワしているうちに終わってしまいました。次の機会は冷静に、しかしいきなり発進・1曲勝負ができるようにテンションをつくってステージに上がりたいと思っています。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年5月25日記 |
その4 | 「バンドに入る」これが一番難しい | ||
「バンドに入る」。 これが一番難しい |
初心者おじさんが自前のジャズバンドを維持するのはかなり困難だ。フォークやロックと違って、同じ初心者技量のベースやドラムスではジャズは音楽そのものを維持しがたいからだ。また下手同士でやっていて、もし基本を間違ったジャズを永く経験すると取り返しに時間がかかる。残り人生の少ないおじさんは出来るだけ紆余曲折を避けたい。 初心者の若いひと(大学生など)とは技術レベルも近く、人数的にも揃いやすいが、好みのジャンルが違うことが多い。若さ故の自制薄弱の傾向があり離合集散が激しく(男女関係なども絡むことがある。自分が起こした場合は自業自得)、上達のスピードが違うのでおじさんはあっという間に置いていかれる(はずされる)、などの理由から長続きしにくい傾向がある。 同年輩のベテラン・アマチュア・ジャズメンの胸を借りるのが一番よいと思う。一般的に同年輩のベテラン・アマチュア・ジャズメンは思いやりがあり親切な人が多い。初心者のうちは、一方的に迷惑をかけるので心苦しくて辛いけれど、当面は甘えるしかしかないだろう。バンドの雑用係りを担うなど、年齢や立場に応じた別の面でバンドに貢献して補いたい。ただ、そんな都合良いバンドは滅多にないのも確かで、それゆえ悩みは多い。 最近は各地でジャムセッションが盛んになっているので、積極的に参加することは大切と思う。初対面のときは「年をとっているからそれなりに上手か」という目で見られるのが辛いが仕方がない。一音だせばレベルは瞭然になるから「辛いのは音を出すまで」と自分に言い聞かせて乗り切るのだろう(実は私はまだ初対面でのセッションは経験していない。近いうちに挑戦しようと思っている)。 とにかく既成のバンドのピアノが空くのをじっと待っていてもチャンスはまず訪れない。若くて上手なピアニストは毎年大学等から次々輩出するし、バンドの方からすればどうせ新しいメンバーに替わるなら将来性のあるひと(できれば若い女の子)を選ぶからだ(立場が変わってみるとよく分かる。若い女はおじさんにとっては無条件にいい)。なんとかしてバンドに入れてもらわなければ始まらない。そういった面でジャズは初心者おじさんには残酷な面がある。「バンドに入ること」、それがおじさんジャズピアニストにとって一番難しいことだ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年6月1日記 |
その5 | 肩凝りと3週間練習法 | ||
肩凝りと3週間練習法 |
私の悩みは肩こりだ。肩が凝りやすい職業なのだが、ピアノを始めてからいっそうひどくなった。私のピアノは肩に力が入り過ぎている。2段譜の練習が一番つらい。左右の手の動きが違うところを練習しているといつの間にか肩が上がっている。毎日2時間、日曜日は1日8時間の練習していた43歳のときに手足の痺れが来る頸椎症になった。幸いピアノの練習を少なくして頸の牽引などをして半年間で治まった。いまは落ち着いている再発を多少心配している。頸椎症になってからは1日8時間なんて練習は無茶と思い止めた。歳をとって覚えが悪くなっている上に練習も思い切って出来ないとなると、大きな上達は望めない。加齢による制約は2重にも3重にも上達を阻む。うまく対応するためには各々が自分の体の様子を諮りながら練習するという大人の知恵が必要と思う。 こういった場合「急にたくさんするのはダメ、毎日毎日少しずつの練習が大切よ」というのが通常の助言だ。だが実は「毎日毎日少しづつ」は職業人には仕事上の時間的制約のために難しい。おじさんは忘却力がたくましいので、一定期間に集中して達成しないと具体的な成果は得にくい。やはり必要に迫られての集中練習は大切だ。私は40代後半は3週間計画の集中練習が一番効果的だった。若いときは特訓を始めてから1週間すると急に伸びてくるという感触をもっていたが、40代では3週間かかる感じだ。また1日の練習時間を長くし過ぎると翌日に応えるから配分も重要だ。3週間前に計画して、最初の1週間は1日2時間、記憶の必要なことを優先する。たとえばテーマを覚える、コード進行を覚えるなどだ。CDを聴く、デスク・ワーク等も含めて2時間という意味なので、ピアノの前には1時間でも良い。記憶すべきことは3週間前に一通り終えておくのが大切と思う。記憶力は哀しく、ほうっておくと消えていくが、その後の2週間、毎日確認を繰り返すと本番当日には記憶できているようだ。2週目にテンポ・アップや難しい技術の克服を目指す。同時にアドリブの構成などを決める。練習時間は3〜5時間だ。この2週目がきつい。うまく乗り切れるかどうかの成否を左右する。そしてたいてい2週の終わりには肩凝りが我慢できなくなり疲れも貯まるので、温泉を楽しんだり按摩に行ったりしている。終わりの1週は1日2時間だ。記憶の確認と曲の構想を明確化する。CDを聴いたりしてリラックスを図る。私は直前にメトロノームを使ってリズム感を整えるのに多くの時間を割く。私は生業の仕事に没頭しているときに、一番失われ易いのは「ジャズ的なノリだ」という印象を持っている。日本人は忙しくなると、イチにッ・イチにッ・って1・3ノリのリズムで仕事すると思いませんか?。私のジャズがアセアセしいのは仕事のあわただしいリズムのせいだと言い訳している(^_^)。3週が終わったときは肩がパンパンだ。1週間は練習を休まないと体が壊れそうだ。というのを理由に酒を飲む(^O^))。半年に一回、3週間計画の練習が残り半年の私の財産だ。実際には第2週目を正月や5月の連休にあてている。この3週間の成果を食いつぶしながら(繰り返し実践練習しながら)半年間ダラダラと遊ぶのだ。U→X→Tの基本、根音を抜いたバッキングの音覚え、ボサノバのリズム練習、2拍4拍メトロノーム練習などは3週間練習法で覚えた。ちなみに今年の正月はバップ曲のテンポ240以上に挑戦したが3週間では出来るようにならなかった。220までは出来たのだがその後だんだん落ちている。5月の連休は5月末のジャズストリートに出演するつもりで練習予定していたが、出演できなくなって(出してもらえなかった(iOi))、それですっかりサボってしまった。無理しないで集中練習するためには長期休暇を活用することが必要だけど、休暇の1週間だけでは完成しないから前後2週間を活用する、ってことかな。あまり肩凝りとは関係ない話になったが、肩凝りはほんとうに辛い。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年6月2日記 |
その6 | メロディーを弾く | ||
メロディーを弾く |
友達が50歳でピアノを習い始めた。続けられるように心から願う。助言しようと思ったが何から手を付ければいいのか途方にくれる。ともかくも、おじさんがピアノを始める場合一番大切なのは「メロディーを弾く」という本質からはずれないことだと思った。ピアノは「指が10本使えるから和音が作れる」とか「指使いを正しくした方が早く弾ける」とかはピアノの楽器の特性を生かす方法ではあるが、おじさんピアノの場合はそれらはメロディーを弾きやすくしたり飾ったりするための方策に過ぎない。おじさんが音楽をする目的そのものではない。とにかく「メロディーを弾くことが絶対無二の目的なのだ」ということを見失わないで欲しいと思った。覚えているメロディーを鍵盤に置き換えれば「どこにその音があるのか」、それを探り覚えるのを第一の喜びにして欲しい。 教師に楽譜で習うことは大切だ。好きな曲の楽譜を提示してもらって2段譜の練習をする。指使い、左右のタイミングや指の対応などなど教えてもらうことは必須だ。けれど、ほとんどの人が2段楽譜に取り組んだ途端に「いま何を弾いているのか」という基本を忘れてしまう。ほんとう、不思議なほどに2段譜の練習始めるとメロディーを忘れてしまう。巨大な落とし穴だ。2段譜の練習には潜在的に過ちに落ち込む要素が隠されている。2段譜の練習を30分したら、10分間楽譜から離れてメロディーだけの練習をするといいと思う。知っている曲を鍵盤に置き換える練習を必ずしてほしい。最終目的は「目の前の2段譜を弾けるようになることではなくメロディーを弾くことなのだ」ということを確かめるためにも大切だと思う。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年6月12日記 |
その7 | 2段譜の悩み | ||
2段譜の悩み |
好きなポピュラー曲を弾きたいと思って2段譜(ピアノ楽譜のこと)を練習始める。何時間も練習して結局諦めることが多い。なぜだろう。 1)自分の覚えているメロディーと微妙に違う。アーティキュレーション等を入れて微妙にずらしてある。 2)旋律が右手だけではなく左手に隠されていたりする。 3)左右ともにきっちり弾けないと曲にならないように書いてある。 4)その一方で、メロディーを原曲どおり簡単にしてある楽譜は左手も極端に幼稚化(たとえば3和音のアルペジオ)されていて大人の感覚を喜ばせない。 5)「右手でメロディー、左手でアルペジオ」は、ムーディーではないにもかかわらず実は簡単な奏法ではない。 要するに簡単と困難が極端になっていると思う。 大人に適した楽譜は、 1)右手だけでメロディーを弾くこと。 2)メロディーはみんなが覚えているものと違ってはならない。 3)左手で根音と無理のない範囲での3和音の挿入 4)左手で裏拍を入れるなどは不可能。 などが原則だろうか。この原則に沿って2段譜を創ってみてはどうだろう。僭越だけど自分で創ってみようかな。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年6月13日記 |
その8 | 「ボーカル伴奏の好きなへたくそアマチュアピアノ」からのお願い | ||
「ボーカル伴奏の好きな へたくそアマチュアピアノ」 からのお願い |
2001年9月、よりよい伴奏者とのコミュニケションを求めているアマチュア・ジャズ女性ボーカリストのHpの掲示板への投稿文。 1)伴奏するのが純粋アマチュア・ピアノの場合の最大の障壁はキーだ。貴Hpでは「♭#共に2つくらいがいいかな」と書いてあり有り難い。私(たぶん一般的なジャズ・アマチュアピアノ)は♭は5つまでは大丈夫だ(♭4つまでなら有り難いというピアノは多いと思う)。ところがシャープになると1つなら大丈夫、2つになると、もうあやしい。3つ以上はハチャメチャと覚悟して欲しい。 「♭#共に2つ」の4つのキーではさすがにボーカリストに気の毒だが、6〜7キーあれば「半音上げる下げる」で折り合いをつけるように願いたい。 2)アマチュアを目指すボーカリストとプロを目指す人の違いは大切と思う。私はジャズボーカルを始めた人にこう助言している。「あなたがプロを明確に目指すのなら、あなたのキーで練習しなさい。それが、絶対に必要な道だ。曲げてはいけない。ただし、伴奏もプロに頼みなさい。プロがバックをしたくなる力量を身につけるのが、あなたがバンドで歌うための必要条件だ。」 「もし、アマチュアで進むつもりで、そして将来ともアマチュア演奏者の伴奏で歌うつもりなら、初めからフラット・キーで練習しなさい。アマチュア楽器奏者に12キー全ての練習を満遍なく練習せよ、という命題を与えるのは無理がある。アマチュアジャズメンがインストで演奏する場合はほとんどがフラット系だ。あなたのこの1曲のためだけにキーBを練習するということは、それが「普遍性・融通性に欠く」という観点から、アマチュアには苦痛なのだ。キーBではあなたの歌が満足できる伴奏を得ることは困難だろう。微妙なジャズのニュアンスを共演者と共有したいと願うなら、半度下げてフラット系で歌うほうが断然あなたに報いるだろう。ただし、あなたがあまりにも素晴らしいアマチュア歌手である場合は別だ。あなたの伴奏をしたいがために、伴奏者はあなたのキーで練習するだろう」。要するにアマチュアでやる限りは、バンド仲間が互いに楽しむ道を探らなければならない、というのが私の持論だ。 2)私が割と困るのはブルースだ。「フラットなら大丈夫」と書いたが、意外にブルースはフラット3つ、#ひとつしか出来ない。そういうピアノ友達は多い。ブルーノートスケールを覚えきらないのだ。「#系や♭たくさんキー」でブルースを歌うと、バックはいわゆるUX系の流れになって、ボーカルのブルーノートとのブツカリが多くなる傾向がある。 3)ロック系からの転向または浮気組 #系が圧倒的に多く悩む。いつもはエレキバンドをバックに歌っているのだけど「ジャズ風味を覚えたい」と思って来る人達には、持ってきた楽譜を半度下げるように申し出ている。正直、1〜2回しか演奏しないだろうニューミュージック系の曲を、苦労して#で練習する気分にはならない。 4)ニューヨーク・ニューヨーク ニューヨーク・ニューヨークを「レコード通り歌いたい」と行って楽譜を持ってセッションに来られるとつらい。 5)男性ボーカルの伴奏が難しい ピアノの場合、男性ボーカルのノートと右手和音のトップノートとが重なりそうになる。私の下手なピアノで歌う男性ボーカリストはきっと歌いにくいと思う。 6)倍テンポの曲 倍テンポの曲を要望するボーカリストは割と多い。S.wonderfulとかラバカンとか(^。^;)。歌い手は倍テンポの本当の意味が分かってない場合が少なくない。歌のリズムに倍テンポ感がない。なのに伴奏は倍テンポ。苦しいな〜〜。 7)ミディアムスローの曲 テンポ80〜100の曲はボーカリストには魅力なのだろう。このテンポのワルツの要望も多い。だが初心者ボーカルがこのテンポで歌うと堪らずだるい。伴奏する側にいて我慢できない。 などなど書き連ねた。ボーカルの伴奏は好きだ。が、技量は間に合わない。少しでもよい音楽を楽しく創れるようにお互いに理解し合うことが大切と思う。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年9月25日記 |
その9 | 50歳でピアノを始める(私の場合と比較して) | ||
50歳でピアノを始める (私の場合と比較して) |
同級生が50歳になってからピアノの練習を始めた。3ヶ月だ。とても嬉しい。無理なく楽しんで長く続けて欲しいと思う。彼との比較で、私自身の音楽経験を考え直してみた。 「検証」 私は37歳でジャズピアノを始めたが、50歳になって初めてピアノに触る彼とは違った。開始年齢が13歳違うと言うだけではない。私は小学校で1年間ピアノを習いブルグミューラが弾けた。たった1年だが、子供のときの1年は50歳の3年・3倍に相当する。当時1週間で4時間練習させられていた(なんと少ない!)。ということは50歳では1週間に12時間だ。大人が出来る通常の練習時間を超えている。ブルグミューラの25曲を弾けるようなるには、1年間週に12時間練習するか、週に4時間で3年間が必要だろう。単に1年と3年の違いだけでなく、10歳の子が11歳になること(成長する)と、50歳が53歳になること(老化する)の違いは大きい。 小学校時の1年間のピアノ経験者37歳(13年前の私)と50歳初心者とには大きな違いがあった(私はそのことに気がついて驚いた)。ピアノでは「左手の小指と右手の親指が対応する」ということは37歳時の私には自然だった。が、彼は小指と小指、親指と親指が対応していた。考えてみれば、それが自然だ。左手の小指→薬指→中指に、右手を親指→人差し指→中指と対応させて動かす方が不自然だ。ピアノ弾きにとってはごく当たり前の対応を50歳になってから覚えなければならない。大人のピアノ練習は「最も基本的な指の使い方を覚えるのが最大の難関」だと痛感した。 第2に私は13歳から20歳までギター(エレキベース)を弾いていた。「軽音楽にはコードというものがあり、コードを弾きながら歌うことができる」ということを13歳から知っていた。コードは3和音しか知らなかったが、ピアノで軽音楽の曲を弾く最初の練習は「ギターで覚えたコード和音をピアノに置き換える作業」だった。また、ベースの経験があったので、コード進行を支える根音の流れを知っていた。彼は「コードがなんたるか」を50歳で初めて知った。 第3に私はエレキバンドを5年間やっていた。アンサンブルを創るという基本を経験していた。アンサンブルという分業作業とピアノの独り弾きとの大きな相違も知っていた。 第4にエレキバンド時代に「楽譜は読めなくてもコードを見ながら適当に弾く」という行為をしていた。それが即ちアドリブだった。巧拙は別にして、私にとってアドリブをすることはピアノを弾く以前に当たり前だった。 私は上記の4つを21歳までに覚えていた。彼はこの4要素を50歳になってから覚えなければならない。彼を見て「私は37歳の真っさらの初心者ではなかった」と気が付いた。彼に望みがないとは思わない。50歳人間は理解力がある。人生経験がある。自分がこれから得なければならないこと、即ち上記の4要素をまず頭で理解することが出来る。それを段階を追って、しかし一部端折りながら、「自分が必要とする階まで階段を駆け上がる方策を自分なりに考えること」、それが解決の糸口になると思う。やみくもにピアノに向かうのでは難しいので、先達の言葉に耳を傾けることが大切だと思う。一方、助言をする側には正しい分析と深い配慮が必要だ。「50歳のピアノ初心者は、何を求めて何が可能で現在どのステップにいるか」を判断し的確に説明することが大切とつくづく思う。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年10月10日記 |
その10 | セッション型とプラン型バンド | ||
セッション型バンドと プラン型バンド |
ジャズのバンド練習にセッション型とプラン型とがある。私が所属しているバンドはセッション型バンドだ。ベースとドラムは初見で演奏してくれるし、イントロやエンディングも間違わない。ピアノは3人いて交代で参加する。フロントもいて、同じ曲でも日によってピアノとの組み合わせを替える。セッション型バンドは、技量の差を超えてバンド参加が出来る、初見で弾くことに習熟する、いろいろなフロントや多くのミュージシャンとの共演が出来る等の利点がある。一方、一曲に集中してサウンドを創り、曲の解釈を深めて曲に対するメンバーの心をひとつにする、といったプランニングには欠ける傾向がある。これに気が付いたのはつい最近(11年目)だ。新しいトリオでジャズストリートに出演する機会を得た。ベースとドラムが若く優秀なミュージシャンだったこともあり、自身の技量的にはきつかったが、10曲ほどを半年間繰り返して練習して、その間構成や曲想について言葉で何度も話し合った。メンバーが心を合わせて曲を完成していく過程を経験できたことは素晴らしく驚きでもあった。このバンドは年齢差と技量差が大きかったこともあり目的を達して解散した。以後、「身の丈にあった仲間とバンドを組みたい。そして同等の立場で真の仲間としてバンドのサウンドをつくってみたい」と切望して、年齢を揃えて50歳前後で、技量的にも大差のないアマチュア仲間でバンドを組んだ。最初は音が揃わず困惑した。サウンド創りどころではなく、互いが探り合っておどおどとした情けない音を出していた。切羽詰まってスタジオを借りてリズムやキメの合わせを繰り返し練習した。半年10回の練習でようやく安定感を得た。セッションで演り放していた部分に気が付いた。基本が合い始めると、拙ないながらもサウンド創りや曲想相談を行い、徐々に表現する楽しさを感じ始めている。 今のところ、上手とするセッション型と同僚仲間でするプラン型バンドとの音楽の完成度は一長一短があって大差はない。けれど上手の腕に頼らず、相互に計画して企画して相談して実施するバンドの経験は大切だと信じている。私が経験している上手とのセッション型から同僚仲間とのプラン型への移行は、ジャズをするアマチュアの「幸せで必要なプロセスだ」と思っている。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年4月11日記 |
その11 | おじさんピアニスト・ピアノ・バー発表会 | ||
おじさんピアニスト・ ピアノ・バー発表会 |
普通のおじさんが習うジャズピアノは2段譜の独り弾きだ。ただ発表の場がない。おさらい会で昼間子供と一緒にコンサートホールで弾くのは寒すぎる。おじさんは酒場でジャズを弾きたい。でも酒場にわざわざ楽譜を持っていて弾くのは不細工だ。と言って暗譜は出来ないし、酒を飲んだら忘れてしまう。 50男でピアノを習っている仲間達がいる。ピアノ・バーで会うとピアノ練習については語り合うのだが、薦めてもなかなか弾かない。たまに弾いても、酔いすぎていて最後まで弾ききれない、酔った勢いでないと弾けないのだ。そんな状況を見ておじさんだけのピアノ発表会を思いついた。ピアノ・バーに仲間4〜5人が集まって発表会をする。聴き手は仲間のおじさんだけ。5分づつ順番に弾いて30分でお仕舞い。あとは自分たちの演奏を肴に飲もうという趣向だ。私自身も2段譜の楽譜練習は発表を目的にしていなかったから、どれもこれも中途半端にしてきた。この際キチリと仕上げる機会にしようと思う。自分のピアノ技術のためにも、仲間つくりのためにも、ピアノ遊びをおじさん達の本当の趣味にするためにも、発展を期待したい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年4月13日記 |
その12 | 自前のバンドを組む | ||
自前のバンドを組む |
自前のバンドを組むことは大切で大きな成果を得る。最初に入った(現在も続いている)バンドはセッション型のバンドでピアノが3人いる。それが不満なのではないが、自分のカラーやバンドの音楽指向を打ち出すのは難しい。私のようなゼロから出発したおじさんアマチュアでも、一定の時期を過ぎると自前のバンドで演奏してみたいと思い始める。最初の自前バンドは偶然の所産だったが、ピアノを始めて12年目で機を得ていた。徒手空拳で始めたが、すぐに2つのことに気付いた。ひとつは前述のセッション型のバンドとは大きく違うサウンドになることだ。セッション型のバンドの場合は「それぞれが個性を主張する」というより「確実・無難に合わす」ことが優先する。自分たちのバンドだと「まずそれぞれの演奏者の個性を主張する」ことからバンド創りが始まる。そうすると私たち拙いアマチュアの場合一旦は「音楽的に破綻する」という状況に陥るのだが、それを話し合い繰り返し練習することで解決することが出来る。自前バンドの素晴らしさだ。最初の自前のバンドは私の経験不足があり未消化に終わったが、自前のバンドの運営や意義ある練習法をこのとき学んだ。いかに馬齢を重ねていても経験してみないと分からない。 2回目のバンド(現在のバンド)を組む前に前回を省みて用意をした。前回のバンドはメンバーの年齢が大きく開いていた。アマチュアの場合は、音楽的にも運営的にも親交関係で支え合う。年齢が近いのは助かる。プロ・ミュージシャンがメンバーにいると音楽的には助かる。が、対外活動をするときにはプロ・アマ問題(ギャラの発生)などがあって調整が必要になる。音楽指向が大きく異なるメンバーとの交流は新鮮で有意義だが、自身の技量とそれぞれの寛容が問われる。焦眉の急がなければ、2回目のバンドは音楽指向や技量が大きくは違わないメンバーが宜しかろう。マンネリを防ぐためにバンド組成の期間限定を約束した。 こんな目論見で同年齢で技量が似通った仲間でバンドを組んだ。楽しい1年だった。その1年は別項にしたい。まだ2回目のバンドなので助言的なことは書けない。前半年はムードジャズ・懐かしの歌もの路線を摂り、後半年は「失敗を恐れず挑戦!」を合い言葉に器楽ものを曲想を模索しながら集中練習した。解散前の最後のライブは歌ものに戻す心つもりだ。結成当初と比べると格段によいバンドになった。 「バンドを編成してサウンドつくりをする」作業は経験と修練が必要だ。ピアノの技術練習だけでは得られない。「ジャズをする作業」は多岐に渡る。それがまた新たな楽しみだ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年9月20日記 |
その13 | 「弾きすぎるな」という助言を検証する | ||
「弾きすぎるな」という助言を検証する |
下手のアドリブは取り止めがない。8分音譜中心のフレーズ(フレーズになっていないのだが・・)を解決・終止することなく、散漫かつ際限なく弾き続ける。フレーズとフレーズとの隙間がなく、どこで旋律創りの意図が始まりどこで終わっているのか、さっぱり分からない。共演者は修飾も修正も叶わず、ただひたすらにリズムを刻みコードを追う。聞き苦しくて、ついつい「弾きすぎないでフレーズの空間を創りなさい」と助言したくなる。「弾きすぎるな」という助言は正しい。上手のアドリブ演奏は良質の空白が活かされフレーズの美しさを演出する。小節のどこでフレーズが終わろうとも必然を感じさせる。「旋律のない時間」が時間空を美しく修飾しているのが上手のアドリブだ。 それでは、下手に対する「弾きすぎるな」の助言は適切か?。「とりとめなく弾き続けること」それ自体が下手である証明だと私は思う。だから下手が「弾き続ける」理由は下手の本質に迫る。第一に下手はフレーズが終われない。「理由は1)技術が間に合わない2)フレーズのイメージが完結していない」。第2に下手は休拍をとれない。「理由は1)休拍を数えられない2)コード進行(曲想の流れ)を理解(イメージ)出来ていないから、弾きながら追いかける」。第3にピアノの前でパニックっていて音楽を創る精神状態ではない。などなど技術・知識・精神の理由を挙げてキリがない。 私は「弾きすぎないように」との助言を5年目に受けたが納得しなかった。当時は、上手のアドリブに比べての「自分のアドリブの音数の少なさ」に仰天・動揺し、焦燥に駆られて「必死で音数を増やそう」としていた時期だった。下手は音数が少ない。要するに弾けない。少ないから増やそうとして弾き続ける。それなのに「弾きすぎるな」は無体だ。分析してみると「上手は弾きすぎてはいないが、実は多くの音数を使っている」。コピー譜を見れば一目瞭然だが、多くの場合速いパッセージでフレーズを一気に歌い終わっている。上手はテンポ120の曲を8分音譜だけを使ってアドリブをすることは少ない。3連譜も16分音譜もポリリズムもふんだんに使って歌っている。下手は8分音譜しか弾けない。下手が8分音譜だけで歌おうとすれば音数は少なくなる。そこに下手の焦燥がある。勿論上手は8分音譜だけでも見事に歌いきる。必要な音だけを選択できるからだが、それが出来るようになったときは名手だ。 下手に「弾きすぎるな」の助言は正しい。が、それだけでは下手を追いつめる。私の場合は自分の技量と自分のイメージとの乖離を自認し諦観して後に納得して「弾きすぎの矯正」をはじめた(8年目)。けれど、まだ自身の技量と上手の技量との乖離を明確に分析し終わらない初心者が「君の技量とCDから得たアドリブのイメージは乖離しているから諦めよ。そして弾きすぎるな」と助言されて納得できるのだろうか?。私の8年目は「フレーズを弾く技量をある程度まで会得し終わった時期」でもあった。実際初心者が弾ける範囲での音数のアドリブは「いかにも下手」が判然とする。寂しい(お手本の書きアドリブは計画された必然の音であるから別儀)。聴き手からすると「汚く弾き散らかすこと」に比べれば「まだしもマシ」なのではあるが、それでは初心者おじさんピアノ弾きは納得しない。「ジャズのアドリブをしたい耳の肥えたおじさん初心者ピアニスト」は我慢できないのだ。「弾きすぎる」という指摘が「正しい助言であることは伝えておきたい」が、初心者は「いくら自分が必死に弾きまくっても納得できる音数にはならないのだ」と気づく(諦める)までは「弾きすぎる」しかないと私は思う。一方、フレーズを弾ききる技量は持っているのに「弾きすぎているひと」から助言を求められたら、「弾きすぎ」を指摘するだけではなく、「拍を正確に数えられているか?」「フレーズのイメージを心の中で完結できているか?」「コード進行を理解した上でアドリブしているか?」などを尋ねてみたい。 13年目にベースやドラムの絡みを引き出すおもしろさを知ってから、いっそう「弾きすぎないこと」が楽しくなった。「弾かないで待ってみる」と素敵なことが起こる。ジャズの醍醐味だ。一方で16分音譜フレーズをふんだんに書いてある楽譜を練習中(14年目)なのだが、バンドで弾いてみると「弾きすぎの印象」がある。楽譜が悪いのではなく、速いパッセージを弾く技術が未熟なために、乱れてきちりと終止せず、音数が余計に感じられる(要するに雑音だ)。正しい音数のアドリブでも技術の拙劣が理由で「弾きすぎ」になる。「ジャズの場合の弾きすぎ」とは「弾き手の技量に起因する、正しい音楽と実際に出ている音との乖離」なのかもしれない。「下手は弾きすぎる」という助言は正しいが、「下手のアドリブは喧しいから聞きたくない」という貶めにならないよう心することも大切と思う。「自分は?」と省みると「音楽的でありたい」と思いながらも、相変わらず「弾きまくること」が結構楽しかったりする。発散だ。「己の弾かんとするところを弾いて弾きすぎず」なんて格好いいことにはなりそうにない。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年1月31日記 |
その14 | ジャズピアノをはじめて3年 | ||
ジャズピアノをはじめて3年 |
クラシックピアノは上手なのにジャズは弾けない。習いはじめても、すぐにクジケて辞めてしまうひとが多い。「はて、何故だろう?」と考えていた。「楽譜があれば弾けるもんだから、アドリブを弾く必然性がないのだ」とか「プライドが邪魔するのだ」とか「楽譜を弾いた方が高い音楽性を維持できるから、嫌気がさすのだ」とか、を理由として聞く。 3年。ピアノが上手な人でも下手な人でも「ジャズピアノをはじめて3年」がジャズピアノを弾くための目安と聞き納得した。ジャズピアノを弾くためには「ピアノを弾くための技術」と「ジャズの理論・方法論」と「ジャズの感性」の3要素の獲得が必要だ。クラシックが弾ける人は「ピアノを弾くための技術」は既に獲得している。が後の2要素はピアノの初心者と同じレベルだ。ピアノが弾ける人でも「ジャズの理論・方法論」と「ジャズの感性」を獲得するためには「3年が必要」なのだ。もちろん「ピアノを弾くための技術」を同時並行で会得しなければならない超初心者とは進歩の度合いが違う。一方で、クラシックピアノが弾ける人の「音楽に対する評価の基準」は高い。自己評価に厳しい。高い音楽感性を既に獲得しているが故に、自分が垂れ流す非音楽的な演奏(アドリブ)に深く悩むだろう。だから、自分で自分のジャズ演奏に我慢できるレベルに達するには、やはり3年かかるという理屈だ。3年がたったときには、既にピアノが弾ける人は超初心者とは比較にならないレベルに達する可能性は大だ。が、そこに至るまでに「自分の感性との葛藤を我慢できるかどうか」が、既にクラシックを弾いている人への課題だ。多くの人が我慢できずにやめていく。 さて、一方で「3年なんて言いません。10年後を目指します」と言う人もいる。私は賛成しない。上手も下手も3年後には「人前でアドリブを弾ける」段階を目標にすべきと信じる。実際に人前で弾くかどうかは問わない。「3年後に人前でアドリブを弾く目標」をもって練習しなければ、生涯ジャズピアノを弾けるようにはならないと思う。同レベルに長く留まっていては完成は目指せない。ゴルフに例えれば、「打ちっ放し」で何年練習しても「ゴルフをしていることにはならない」という考えだ。自身の経験から思い出しても、上手も下手も「ジャズをはじめて3年が目標」は正しいと信じている。 注:人前で演奏する意志のないひとは「対外的な目標がない」のでこの項の対象ではない。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年6月18日記 |
その15 | 初心者と初級者と経験 | ||
初心者と初級者と経験 |
初心者と初級者は違う。初心者は”これから段階的に修練するべき技術的なステップ”すら理解していない”初(うぶ)な心のひと”という意味だ。字が表すとおり”技術的な分類”ではなく、”こころ””精神的”な分類だ。名人になっても”初心忘れるべからず”であって”初級忘れるべからず”ではない。ジャズピアノを始めて数年がたっても、相変わらず大層下手な弾き手は”初級者”であって”初心者と称するには逡巡がある。一方で技術的な段階は初級・中級・上級と表現されるが、中心者・上心者という心の段階分類は滅多に表されない。名人は心技体の最高修得者の称号とされるので、きっと心の修得段階も分類されているに違いないが、浅学にして知らないし、巷間で表せることも少ない。心を分類してはいささか難しい。 初心者が初心者でなくなるときはどんなときだろう。「初心忘れるべからず」という名訓に拘泥して「生涯ただ初心者」では論にならない。”初心者から初級者への変わり目”を”経験”と当ててみる。「初めて発表会に出演するひと」、これは初心者だろう。「ピアノは下手だが、発表会に出るのは10回目だ」となると「初心者ではなく初級者だ」ではなかろうか。”クラシックピアノを朗々と弾けるひとの初めてのジャズ教室発表会”は、ピアノ技術は上級者、ジャズ知識は中級者、ジャズ感性は初級者、そして”ジャズの発表会は初心者”でどうだろうか。 この様に分野ごとに評価すれば一見論を分かったようではあるが、いささかめんどくさいし、総合的な”ひと”を評価・分類したことにはならない。初心者と”初級者、中級者”を、”経験を尺度”にして、しばらく考えてみたい。(以上未完成文) |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年8月25日記 |
その16 | 耳学問 | ||
耳学問 |
「ジャズピアノ・特にアドリブが出来るようになるには、どうしたらよいか?」と尋ねられて、「耳学問を大切にしましょう」と即答してしまった。教師から教えて貰うのは講義であって、耳学問とは呼ばない。耳学問は”ジャズ仲間の取り止めのない会話”の中に見出すものだ。「ああでもない。こうでもない。私はこう思う」などの意見交換の中から、学び・気付くことは多い。「耳学問」は「ジャズの理論・方法論」を知るための有効な手段だ。ジャズは「音楽をする方法論」だから、「何故?。どうやるの?。どんな意味があるの。次の発展は?」という思考をもつことが必須だ。答えは教本に書いてはあるが、どこに書いてあるかを探すのだけでも大変だし、読んでもなかなか実感出来ない。だから”どこに書いてあるのかを知り、その意味を理解できるまで”は「耳学問が絶対に必要だ」と思う。教師に教えて貰うだけでは時間が足りない。学校に通って体系的に学ぶことも出来ない。そこを「ジャズ仲間の耳学問」で補うのが早道だ。 実際、私は耳学問が多かった。勿論教本など成書を読んだし教師にも習った。系統だった知識は教本からでないと学べないし、疑問に対する確実な解答は教師からでないと得られない。にも関わらず、行き詰まったときや練習のための方法論を見失ったときなど、「耳学問」は何度も転機の支えになった。壁にぶつかったとき仲間に「どうしてるの?」と尋ねて、「あ〜あれね、難しいよ。僕もマスターできてない。でも、ちょっとここを誤魔化してもおかしくないよ。とりあえずは出来る感じ」。なんて教えて貰って、どんなに安心したことだろう。私は、仲間と話し合ったり仲間達が話し合っているのを傍で聞いていて、その会話の内容に感銘を受けたり理解出来なかったところを、あとで成書を読んで確認して、知識と解釈と貯めてきた。 さて話を文頭に戻す。そんな訳で私は「ジャズピアノが出来るようになるにはどうしたらよいか?」と尋ねられて、「耳学問を大切にしましょう」と即答したのだが、尋ねてきたひとは主婦だった。はて困った。彼女はどこで耳学問をすることが出来るだろうか?。学生達は部室で飲み屋でジャズを語り合って、先輩から後輩へ耳学問を伝承している。若い人達はセッションが終わったあとのジャズ談義を通じて耳学問をしている。酒好きのおじさん達もジャズ談義を楽しみながら杯を重ねる。そこで交わされるジャズ談義の中に”耳学問として大いに役立つものがある”のだが、その一方で、そのために膨大な時間を費やしている(遊んでいる)のも確かだ。夜の飲み会に参加出来ない主婦の場合はどうしたら良いだろう?。私は「耳学問」のために費やした膨大な時間を思い出して、「無理非道な助言をした」と後ろめたい気分になった。 「耳学問は大切だ」との考えは変わらない。耳学問に不利な人達の要望に応えられるジャズ環境を整備・用意するのが、おじさんアマチュアジャズの責務だろうか?。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年8月25日記 |
その17 | 場を選ぶ | ||
場を選ぶ |
人前でうまく弾けるようになるためには「早くから人前で弾くこと」が大切だ。だが、それがなかなかに難しい。下手が所構わず弾くのは傍若無人であり、常識をわきまえたひとがなすことではない。一般的に弾き手は聴き手の立場を思いやって悩む。常識人であればあるほど、聴き手を思いやってためらい悩んで、結局人前では弾けない。「それでは上達しない。ダメだ。」と考えて、「弾きたい気持ちの勢いだけで弾き回る」とヒンシュクを買う。 私は場を理解できないうちから、いきなり自分で「場を選ん」で人前で弾くことを薦めない。ホテルのロビーにピアノが置いてあったからと言って、初心者がピアノを弾いて良いとは思わない。どんな名ピアニストでも「場の了解」なしに人前でピアノを弾き始めることは常識ではない。人前で弾くためには「場所」を選び、「場の空気を読むこと」が求められる。が、実は場を間違いなく選ぶことは難しく、熟練と経験が求められる。 人前演奏の場に関しては、「場を学ぶ」「場を考える」「場を知る」「場を選ぶ」「場を用意する」「場を創る」「場を提供する」などの上達段階がある。初心者のうちは「どんな場合にピアノを弾いてよいか?」は分からないから、しばらくはじっと「場を観察して学ぶ」ことが大切だと思う。「場を観察し学ぶ意識」をもっていると「場を考えること」が出来始める。「彼はなぜここで弾いても良いのだろう。彼と自分とは同じ立場であるかどうか?」などと考察するわけだ。場を学び考えることで「場を知ること」が出来る。場を知れば、次は「場を選ぶ」ことが出来るようになる。「ライブハウスの客が多いときと少ないとき、客に素人ジャズを応援する空気があるときとないとき」などなど、「場と場の空気を選んで弾く」ことが理解できるようになる。 プライベート・ライブは自分で自分の演奏の「場を用意する」ことだろう。自分のライブなのだから「勝手にやってもいいだろう」では、実はかり出される義理と人情の客には迷惑だ。「場を用意する」にも礼儀作法があると知って欲しい。 「場を創る・場を提供する」作業は「場をほぼ完全に把握してからのち」になされる作業だ。「場を知らない人」が「やみくもに場を創る」と参加者が困惑する。人脈・経歴・音楽環境・観客動員・採算など音楽シーンの多くの知識が求められる。音楽の世界に入ってから10年以上の経験とある程度の人生・社会経験が必要と思う。 「場を知る」「的確に場を掴むこと」はピアノ上達の訓練の一部だ。「場を的確に掴む」ためには順次上達のプロセスを追うことが大切だと思う。しかし一方で「場を掴む」ためには、場選びの失敗を怖れずに「場を試す」ことも必須だ。そうすると「場をしくじる経験」も「上達のプロセスだ」と考えざるを得ない。「場を間違いなく掴む」ためには、失敗と成功の試行錯誤は必要であり、「場をしくじる」こともあるだろう。そのときは「今晩はごめんなさい。ありがとう。きっといつか恩返しを・・・」と心しておくことが大切だろう。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2004年4月22日記 |