NO52 | ボーカル・デュオ研究会 | ||
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2010年8月からベースとデュオで練習を始めた。土曜の午後2時間、練習場所は私の自宅に定めたので、費用がかからず年寄りの体に楽だった。バンド名は「ぬるいコーヒー」にした。2011年4月から+1として女性ボーカルを加えて月3回程度の練習を続けて2012年1月のジャズストリートに出演した。 ベースとのデュオはベースと希望する音楽の方向性が一致していたこともあって楽しかった。デュオで音楽を支える力量がないために、選ぶ曲はバラッドが多く、スウィングはテンポ140より早くすると破綻すると言う風に曲想は限定されていたけれど、同じ曲を何度も練習演奏することで、ある程度の水準までは曲を作り上げることができたと満足した。女性ボーカルに加わって貰うことで曲想の幅は広がって楽しくなったし、お客さんを呼んでライブを開くことができるようになった。 一方で、練習方法では戸惑いが生じた。前半の1時間をピアノとベースのデュオ、後半をボーカル・トリオと分けて練習計画を組んだのだが、デュオとトリオでは音楽作りの方法が大きく違うことを知った。今までの経験で、ピアノとベースのデュオにドラムが加わる場合は「演奏は楽になる」との思いがあった。それが勘違いなのかもしれないが、少なくともピアノとベースとドラムは楽器の特性として音楽を創るための役割の分担が明確であると思う。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2009年5月26日記 |
NO51 | 四字熟語 | ||
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2009年3月から四字熟語を自習しています。漢字検定法人の検挙と時機を同じくしていますが、無関係です。最近4〜5年、漢字を書けなくなっていると薄々感じていました。「疑う」と「焦る」の2文字を書き間違えたとき、疑いは確信に変わり、激しい焦燥を覚えました。老いた脳が溶け始めているのだ。枕元にあった「漢字と親しもう」的なハウツウ本から始めましたが、1週間後には書棚から四字熟語の読本を引っ張り出して、端から書いてみることにしました。500ページです。毎朝30分で、3ヶ月経って今300ページ。記憶できた訳ではありません。何度か書いて、それをノートに書き写しただけですが、たいぶん漢字に親しみが戻りました。そうしたら「書くだけではなく役立てたい」と欲が出てきました。楽しみながらの面壁3ヶ月です。ご笑読ください。 明鏡止水の心で臨みたいけれど、 ステージに立てば意馬心猿と心乱れ、 無念無想を願っても、 情緒纏綿として落ち着かず、 演奏始まれば無我夢中。 錦心繍口を願えども、 蛙鳴蝉噪として調和せず、 支離滅裂として四分五裂。 周章狼狽して、遂には阿鼻叫喚の場と化す。 気息奄々ようやく終えて 疲労困憊、冷汗三斗、 茫然自失、意気消沈。 ピアノ前にて平身低頭し、跼天蹐地する。 演奏終えての拍手喝采は鼓舞激励と承り、 破顔一笑にて謝意を表す。 有難うございました。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2009年5月26日記 |
NO50 | 第2回スマイリータマ・ジャズピアノ独奏会 | ||
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2回目のピアノ独奏演奏会を終えて一息入れている。ソロは「基礎からのピアノの正しい弾き方」を習得していない身には厳しいのだが、「全く弾けない」と逃れていてよいことでもない。それで時々思いついて練習している。目的なくダラダラと練習をしていると、「なんとなく弾ける」って感じで、決まりがつかない。上達もしない。それで思い立って2年前に第1回の独奏会をした。毎年するつもりだったのに、早速1年開いてしまって2年ぶりだ。 1回目は弾き慣れた曲をアドリブで弾いた。良し悪しは別にして、大破綻と言うこともなく、無難に弾き終えたように思う。今回は「楽譜を弾く鍛錬」を目的にした。42歳から折にふれて練習してきたヤマハの教本から8曲を選んだ。10年以上弾き慣れた曲を3曲、4〜5年前からの曲を3曲、新曲が2曲だ。5月のシュガービレッジを終えてからの2ヶ月が集中練習期間で、総練習時間は40時間くらいだったろうか。楽譜を弾くので、ジャズ演奏会とは言えず、お習い会だ。聴いてもらう客は2名にした。最後の週にジャズピアノ練習スタート志望の女性が偶然現れて3人になった。 さて、結果は散々だった。楽譜を目で追いかけることが出来なかった。言い訳はない。普段と同じグランドピアノで、楽譜立ての角度も普段の練習時と同じにした。椅子の高さにも気をつけた。自分の部屋よりはだいぶん暗かったが、ピアノ上にピンライトは入っていて、音符は充分に見えた。にもかかわらず、弾き始めた途端に目がウロウロになった。最初の曲に選んだ(自信があった)Taking a Chance on Loveのアドリブは途中からサニーサイドのコード進行になった。8曲弾いて音符が追えたのは1曲だけで、その曲も最後の16小節はついに楽譜を見失なった。どの曲も、暗譜の記憶をなぞりながら、「ときどき楽譜(暗譜)、ほとんどはアドリブ弾き」になった。初めのうちは懸命に音符を探していて、停まらないことだけで精一杯だった。一体何をやっているのか・・・・。音楽ではなかった。むちゃくちゃだった。4曲目で楽譜を追うのを諦めて、コードと記憶だけで弾いた。そのほうがまだマシな演奏ができた(と思う)。なんのための準備練習だったのか・・・。無念で、ちょっぴり悲しい。 「楽譜を追いかけるのは技能なのだ」と思い知らされた。2小節先に目線を走らせて、楽譜の流れから目を離さない。鍵盤を見ているときは楽譜が頭の中で動いていて、視線を楽譜に戻したときは探すことなく現在の音符が網膜に映る。そのような技能が必要なのだろう。おそらくは子供のときになすべき修練だろう。57歳からで可能なのだろうか?。つらい。 それでも2ヶ月間、近年になく気を入れて練習して、ひとイベント終えた解放感を味わっている。犠牲になった羊ちゃん達(聴き手3名)もご苦労さんでした。ありがとうございます。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2008年7月25日記 | ||
NO49 | 新JazzSOLAです | ||
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おいでや!ジャズストリート2006の出演でJazzSOLAは終了した。精力的に活動中だった中堅ドラマーが急遽帰郷したために、一緒にやってもらっていた若手のドラマーが忙しくなって辞めた。新しいビッグバンドも出来た。当地のジャズシーンは一挙にドラマー不足に陥った。我がバンドへの新ドラマー加入の見込みはない。加えて、おいでや!ジャズストリート2006にゲスト参加してもらったバイオリン女性は大きなクラシックコンサートを控えていて、4月まで参加不可。さて、どうしようか。ベースの女性は付き合ってくれているが、僕とのデュオでは元気が出ないようだ。 最近、アコースティックなサウンドに憧れている。ドラムがいないのを嘆くのではなく、むしろドラムレスの音楽を目指したい。バイオリンとドラムレスのリズム隊。漠然としたイメージが湧いてきた。5ヶ月を経て、2バイオリンとアコースティック・ギターとベースとピアノのリズム隊の5人編成になった。完成形だと思っている。「この編成にはお手本がない」と思っていたら、自分のライブラリーの中に同じ編成のCDが1枚見つかった。まずはお手本を習いながらの出発だ。始めてみたら、やってみたい曲や曲想が次々と思い浮かんできてワクワクする。テンポキープの良い2バイオリンなので、リズム隊がヨタヨタと付いていっている感じだ。「それもまた味だろう」などと言い訳しながら、とても楽しい。「クラシックは弾けるがジャズバイオリンを覚えたい」、「ジャズは出来るがバイオリンを思い出したい」、「ビッグバンドのベースからジャズ始めたがコンボを覚えたい」、「フラメンコギターを習ってきたがジャズを始めたい」、「アコースティックなジャズをやってみたい」。このバンドに参加している各人それぞれの目的はハッキリしている。良いバンドが出来た。バンド名はJazzSOLAを継承した。前のバンドだった”ひまわり”を解散したとき、「”ひまわり”のように空を見上げてジャズをしたい」と思った。バンドは替わっても、僕のJazzSOLAな気分は続いている。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2007年12月23日記 | ||
NO48 | 新バンド(JazzSOLA)を結成しました | ||
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バンド「ひまわり」が休止した。例年なら1月初めに次のバンドを結成して早速年間活動スケージュールを定めるのだが、今年はしばらくバンド活動を休みたいと思った。長年続けたメンバーのスケジュール調整に疲れた。そんな気分だった。それで1月から4月初めまでは、独り気ままなピアノの独り弾きの練習、5月から7月初めまでは「恋の歌の作詞作曲と歌の練習」に勤しんだ。ピアノ独り弾きも作詞作曲も結構がんばったし、発表会でケジメもつけた。決して音楽活動をサボった気分ではなく、新鮮で楽しくて厳しい試練だった。 さて4月半ばから今年後半の音楽活動を共にするバンドメンバーをそれとなく探していた。元気も出てきたし、私が実行委員長を務める「おいでや!ジャズストリート」に自分もミュージシャンとして出演したい。最近の私の興味はピアノを美しく鳴らすことだ。速いテンポや強い自己主張は必要ない。自前のピアノ・トリオで半年やってみたい。最近5年は年の前半分でバンドの基礎的な練習をして、後半はライブやジャズストリートなどに出演しながら実践的な練習を重ねてきた。だが今年は時間が半分しかない。どんなメンバーを組むのがよいだろうか?。手馴れたベテラン(おじさん仲間と言う意味)が良いかな。気楽だし、助け合えるし、間違いがないし・・。 そんなこんなで思案しているときに、20台半ばの女性ベーシストが目に留まった。学生のサークル活動でベースを始めて、卒業後ビッグバンドに所属して2年目だ。経験は少ないのだが、アタック感と言うか音の出るタイミングが心地よかった。「彼女のタイミングは良いよ」と薦めてくれる先輩もいて、「おじさんとバンドを組むかしら」と心配しながら尋ねてみたら、思いのほかに快達な返事が届いた。ベースの彼女が決まったときに、すぐに若いひとりのドラマーを思い出した。彼も学生になってからドラムを始めて、現在はいくつかのコンボ系バンドで修行中だ。リズムの刻みよりもダイナミックスと言うか、リズムでの表現を好むドラマーだ。アタックの位置が安定している彼女のベースと彼との組み合わせはきっと面白い。一方で彼も彼女も経験が少ない。40の手習いの不安定なピアニストと経験の少ないベーシストとドラムのトリオ。出来不出来が激しくなりそうだ。彼ら二人とも私の息子と同い年だ。親父と息子達の年齢関係。うまくいくかしら。不安はあったが楽しみも大きい。将来彼らが上達したあとでは、僕とはバンドを組んではくれないだろう。いまがチャンス!。このトリオはきっと素敵なサウンドになる。楽しみな半年になった。追伸:新バンドの名前はJazzSOLA(ソラ)です。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2006年9月4日記 |
NO47 | 恋を謳い終わって | ||
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バリアフリー・ライブ「一緒にやろか」が終わった。これは”なかなかに良いネーミングだ”と感心する。「僕も歌っていいんじゃないだろうか」。このネーミングに衝動して僕は「恋の歌を作詞作曲して自分で歌う」という無謀な行動に出た。”格好良いおじいさんになりたい”決心から、ダイエット・歯の治療・ジムやダンス・禁煙・早起きなど生活習慣の変化・服飾趣味の流行への回帰、などを含め、途中で「軽やかなおじいさんになりたい」と標語を変えながら、急速な自己変革を試行錯誤した2年間半だった。そして”まもなく3年を迎える自己変革を”恋を歌う”と言う作業で終焉としよう”、そんな気分だった。 若さや健康や気力を活性化し維持する努力はこれから生涯続く。その努力をいかに励行しても次々と迫りくる老への進行は留まることがない。そして必ず期限は来る。そう、”恋が似合わなくなるとき”は間もなく訪れる。恋がまだ思い出の行為にならないうちに恋を謳ってみたい。「恋の歌を創る」と思い立ってから、恋のドラマや小説や漫画を濫読した。恋の気分に浸りきって毎日を過ごした。そうしながらも、僕は日々恋から遠ざかっている自分の人生の足音を間違いなく聞き取った。青春を失わないようにする努力はそろそろ無用だろう。穏やかに老人になっていこう。無理なく老を迎える準備はだいぶん整った。誰にも気付かれずに自分に区切りをつけるために、ステージで自作自演の恋の歌を歌うのはなかなかのパーフォーマンスだった。 ライブが終わったら、突然夏が来た。昨年・一昨年は慌ただしく激しい気分で夏を迎えた。今年は節目が終わった感慨が大きい。おじいさんになる準備は終了して、平穏になだらかにおじさんからおじいさんへの移行を進めなければならない。その始まりの夏だと思えている。ジャズピアノに戻ろう。30代、40代のときのような”なにがなんでもジャズピアノを弾きたい”灼熱感はない。向上に対する情熱はそこはかとなく散らばり残っているが、焦燥や嫉妬は薄くなった。ただ穏やかに音楽を楽しみたい。またジャズバンドを組もう。ジャズストリートの世話も続けよう。これから数年は”おじいさん”の準備をしながら、いましばらく「”おじさん”と呼んでもらえる残された若い時間」を楽しんでいきたい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2006年7月11日記 |
NO46 | 恋の歌を創って謳う | ||
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2006年の年初に「恋の歌を創って謳ってみよう」と思い立った。前年から友人達数名が素人音楽会を始めていて、「そこを発表の場にして参加したい」という欲求も思い立つ一因になった。思いつきは早かったのだが、作詞作曲にとりかかったのは素人音楽会の日取りが決まってからだった。 目標は4曲。差し迫ってからあわてて泥縄に陥る子供時代からの悪癖は生涯治らない。11年ぶりに5月に9連休と長い休暇をとり、「恋の歌を創る独り旅」に出た。岬で明星を観たり、早朝の古き寺で独り手を合わせたり、見知らぬ街の居酒屋で女将と酒を酌み交わしたりしたが、一向に恋の歌は湧き上がって来ず、9連休が終わってしまった日に出来ていたのは「わずかに10行ほどの歌詞だけ」だった。それからの1ヶ月、明けても暮れても、寝ても起きても作詞作曲が頭から離れず、焦燥と圧迫感に苦しんだ。ひさびさの追い詰められた日々を過ごし、受験生の気分を思い出した。試行錯誤の末、「いったん主役の人物を友達のイメージに写し、そこに自分が感情移入して自分の言葉に戻す」という支離滅裂な精神作業を行き来する手法をとることで、一挙に作業を進めることが出来た。 6月2日に4曲目を仕上げたときの解放感は、達成感という喜びではなく、”毎日続く吐き気をようやく思いっきり嘔吐して終わった”と言う感触だった。1週間ほど、はしゃいで遊んだのち、歌の練習に取り掛かったが、まあ、ひどいオンチだ。モゲすぎてせっかく創ったメロディーラインを聴きとってもらえないのが残念だ。でも生来の”シアワセモノ”性格から「自分の創った歌が大好き」状態で毎日を楽しんでいる。「恋するおじさん」はそのうちの1曲で、「デートを重ねるうちに恋心を募らせていくおじさんの恋こころ」を歌っている。歌の練習をしながら「”恋するおじさん”と”恋するおじいさん”とはどう違うだろうか」などと思い巡らせている。 「軽やかなおじいさんになりたい」をテーマにしてあれこれ夢中に過ごしてきた3年間だったが、「おじさんと呼ばれる時間」ももう数年になった。歌の発表が終われば、ジャズバンドを再編成してジャズの世界に戻ろうと思っている。おいでやジャズストリートや坊ちゃんジャズフェスティバルなどの実務も始まる。「恋を謳う」と言う”夢うつつ”の世界から現実世界に戻って、「おじさんと呼んでもらえる最後の数年」を過ごしたいと思う。さてさて、おじいさんになっても「恋は謳える」のだろうか。 付録「恋を謳う 4曲の歌詞」 |
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Smiley(^-^)Tama | 2006年6月21日記 |
NO45 | スマイリータマ・ジャズピアノ独奏会 | ||
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3年間続けてきた「オジバン〜ひまわり」のバンド活動を休止した。スケジュール調整に疲れたことと、バンド練習やライブ活動に追われて基礎的な練習を怠った自分の雑なピアノに嫌気がさしてきたこと、とが理由だ。個人練習をずいぶんと長い間サボってしまった。最近の3年間の個人練習は週に2〜3時間だった。言い訳をすると、バンドの練習が週2回、ジムやダンスのレッスンが週3回、職域の会合が週1回、これだけでも週6日出かけていることになる。確かに個人練習をする時間がなかった。 バンドがなくなると、時間も体力も気力も、余裕が出来た。当たり前のことだが、バンド演奏のための個人練習が不要になった。一晩自宅に居るまとまった時間が生まれたので採譜をする余裕が出来た。それであれこれ弾いているうちに、独り弾きの練習をもう一度やってみたくなった。独り弾きの練習は、ピアノを始めて5〜7年目の頃、ヤマハの教本で無我夢中の練習をした。毎晩2時間、休日は8時間の練習だった。なのに10年目以降のいままでの9年間は、まとまった独り弾きの練習はしなかった。歳をとるとバンドの仲間を組む気力や体力、そして技術の維持がだんだんに辛くなる。独り弾きなら気兼ねがない。老の趣味生活のためにも、もう一度独り弾きの練習に集中しておきたい。 どうせ練習するなら発表会があったほうが気が引き締まる。元気も出る。例によってイベント好きの性癖が頭をもたげてきた。早速2ヶ月後に設定した。犠牲となる気の毒な5名の聴き手も確保した。30分1セットで2セット分の準備はしておきたい。1セット7曲で14曲だ。アドリブ部分も楽譜どおりに暗譜しておいて、途中で忘れたら自前のアドリブに切り替えられる余裕あるレベルにまで高めることが肝要だ。もちろん決してとまらない覚悟だ。聴き手の心に”多少のカンドーを残せる芸術性”と”それなりの愉快を感じさせる遊興性”をもたせたい。要するにプロのジャズピアニストがサロンやバーで弾いているイメージが僕の頭の中に出来上がっている。やってみましょうワイ。これも”55歳のおじさんのショーブ”です。メンバーのスケジュール調整は不要だ。自分だけがしっかりと練習すれば良い。生涯開くと思わなかった独り弾きピアノ・ジャズライブ。スマイリータマ・ジャズピアノ独演会。近々開演。懸命・没頭・練習中です。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2006年3月14日記 |
NO44 | ジャズで恋する女と踊りたい | ||
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好きな女とダンスを踊りたい。「ダンスが踊れればパートナーは選ばない」と言う風には馴染めない。きっとさほどにはダンスを好きではないのだろう。「ダンスさえ上達すれば」と言う気分にはなれないのだ。 好きな女とダンスを踊りたい。そう頑なに心に決めて、ずっと男教師と踊っている。やはり女性と踊るのとは何かが違う。教師も分かっていて「女性パートナーを紹介しましょうか?」と申し出てくれた。ありがたい。だけど僕は「ダンスのパートナーはダンスで決めません。女で決めます」と断った。なんてエラソーなんだ。嫌われたに違いない。それでも相変わらず男性教師と踊っている。 僕はやっぱりジャズが好きらしい。ダンス曲もジャージーでないと楽しめない。ビッグバンドはいい。ボサノバはいい。タンゴ曲は好きになれない。グルーブがない演奏は気持ちが悪い。アフタービートの感じられない歌では踊る元気がでない。ジャズバンドの演奏でないジャズ曲は聴いていてつらい。初心者のクセに僕はいろいろと注文が多い。困ったおじさん初心者ダンサーだ。ジャズで恋する女と踊りたい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2004年6月9日記 |
NO43 | 30歳代の趣味 | ||
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30代の男が趣味のピアノに熱中することを私は必ずしも推奨しない。仕事にも家庭にも人間形成にも、全てに責任を果たす必要があり、しかも未熟だ。「30代のおとこはんは見苦しゅうございます」の言葉が思い浮かぶ。見苦しいくらいに張り切り自己研鑽しないと、一人前になれない。女の30代も結婚・出産・育児と最繁忙期だ。結婚前は「絶対音楽は続けます!」と宣言した女性が、いざ出産すれば「家庭ほど大切なものはない」にしばしば変貌する。それは素晴らしいことだ(女性には結婚生活が大切だという意味ではない)。彼女たちが趣味のシーンに復帰するのは10年後だ。結局、男も女も30代を「人生の基礎と大人になるための基礎訓練」で慌ただしく過ごす。「それが当然だし、そうあるべきだ」と私は思う。むしろ、この時期に趣味を優先する男女には「警告をしたい気分」を私はもっている。ときおり30代の男から「ピアノが大好きなのに、仕事が忙しくてピアノを弾く時間がない」とのボヤキや悩みを聞く。が、「仕事に追われる毎日が30代の男の本来の姿だろう。仕事の追われることを厭わず誇りとしよう。趣味は余力でなすべき行為であって、それは30代を夢中で走ったのちに、人生の基礎作り終えた40代でようやく得られるものだろう」と助言したい。 一方で、男も女も40才になってから復帰した趣味は、実力が甚だしく低下し、元のレベルに復帰することすらなかなかに難しい。更なる上達を望めば「20歳代のときと40才になった自分との修養能力の違い」に愕然とすることになる。結局たいして上手にはならないのだが、それが「アマチュアを選択した人生」なのだろう。プロは30代にピアノに熱中し苦悩して、生涯の生活の糧としての実力を得る。その代償として、経理や営業やそのほかの資格など、音楽以外での社会的生産手段の獲得は放棄し終える。人生はさほど多くのことをなす時間はない。 私自身は「36才までジャズピアノに出会はなかったこと」を多少残念に思う。しかし20代半ばから36才までは「無我夢中で仕事を覚えていたこと」も確かであり、たとえジャズピアノに出会っていても「ピアノを弾く時間やピアノを弾く環境を用意できたかどうか」は疑問だ。「麻雀やゴルフをしていた時間が寄り道だった」と後悔するが、それらを知ったことも無駄ではない。なんやかんやで「趣味は余力で行う行為」だから、本来的に「40歳代以降が本番なのだろう」と考えている。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年12月24日記 |
NO42 | ボーカル・セッション | ||
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ボーカル・セッションを始めた。10年前、バンドに入れない・バンドに入れる見込みがない状況下でジャズピアノを練習する暗澹たる気分を味わった。4年前バンド演奏で歌う機会を得ずしてジャズボーカルを練習する人たちの嘆きを知った。幸い2年前からプロ主催のボーカル・セッションが始まった。素晴らしい企画だ。賑わっている。だが、見知らぬ大勢の客が注目する中でのリハなし・一発勝負だ。場馴れや歌い込みの練習は難しい。「笑顔で歌うべき」と思っても顔は引きつり、「感情を込めよう」と願っても歌詞を追うことに心を奪われる。楽器演奏者たちは毎週毎週何年も繰り返し練習してバンド演奏を覚える。時間をかけて音楽感やジャズ感を養う。場馴れもする。なのに歌手達は本番の一発勝負だ。それで上達が可能なのだろうか?。自分の歌い方を試行錯誤することが出来るだろうか?。アマチュア歌手に過酷ではないだろうか?。 一方で歌の伴奏はアマチュア・ジャズミュージシャン(楽器)にとって実りの多い行為ではない。ボーカルは原曲とキーが違うし、一般に楽器系の奏者に比べて音楽の基本知識や技術が未熟だ。「楽譜が読めない、書けない」、「リズムを指定できない、テンポを出せない」などだ。楽器奏者はバンドに入るためには少なくとも5年はかかる。ボーカリストが1年・2年程度練習したからと言って「すぐにバンドで歌いたい」というほうが我が儘かも知れない。そんなこんなで、アマチュア・ボーカルのひとたちの悩みを横目に、「気の毒」とは思いながらも自分の上達に懸命で素知らぬ振りをしてきた。 11月アマチュアバンドによるボーカルセッションを開始した。共感し協力してくれるアマチュア・ミュージシャン仲間を得たからだ。客が観ている本番練習ではないので、繰り返し練習が可能だ。練習しながらの相談も出来る。ボーカルが気楽に試行錯誤するには良い環境だと思う。看板は「初心者歓迎!」だが、”参加者全員が初心者”だと伴奏者が辛い。自分のキーでの楽譜をもっていなかったり(自分のキーを知らないひともいる)、持っていても間違いが多い。教本のコピーを「その場で転調してくれ」等の要求はアマチュア・ミュージシャンには辛い。幸いベテランのアマチュアボーカル2人が定期参加を約束してくれた。彼らが来てくれたら伴奏も楽しいし、初心者ボーカリストに向けての指導もしてくれるだろう。なによりボーカリスト仲間で助け合い励まし合ってくれたら素晴らしい。それが私達・伴奏者の望みだ。とにかくもボーカルセッションを開始した。 心配はある。「アマチュア・バンドなどで練習したら基礎が崩れる」と言われるかも知れない。バンド仲間が退屈して止めるかも知れない。「下手なピアノ伴奏では歌えない」と言われかもしれない。そう思うと気が滅入る。でも信じるしかない。「ボーカルはバンド伴奏で歌う機会が必要だ。本番ではない練習のバンド練習が大切だ。伴奏をするアマチュア・ミュージシャンにも、きっとボーカル伴奏というジャンルの練習になるだろう。そしてなによりも、新しくジャズ・ボーカルを始めるひとの励みになるに違いない」。そう信じるしかないと思う。 プロのボーカルセッションの場合と違って「演奏者も歌手も助け合い協力し合って、演奏の場を維持するのだ」という精神を共有できるかどうかが、成否を左右する。苦労もあるだろう。しばらく続けてみたい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年12月15日記 |
NO41 | ハゲのスケベデブおやじ | ||
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「60才を越えておじ〜さんと呼ばれるまでの10年間をどう過ごそうか?」「どのように自分を維持しようか?」 40歳代はピアノを一生懸命にやった。職域の世話役も務めた。ジャズ仲間の連携にも一役を担った。50代になってもそれぞれをそれなりに続けてはいる。が、このままでいいのだろうか?。 まだ、恋ごころは保ちたい。恋の成就は望まなくても、女性と楽しい会話は続けたい。女性に不快を与えない自分でいたい。老よりも、老が見え隠れするほうが見苦しい。見え隠れする老を見るのは哀しいから女性に避けられる。 「おやじ!」と言われるのは仕方ない。「ハゲ!」と言われても構わないし、「すけべ!」と言われても結構なのだけど、「ハゲのすけべオヤジ!!」と呼ばれるのは、なんだか辛い。おまけに僕はデブだ。”ハゲのスケベデブおやじ”だ。デブは治せる。治そう。 「ハゲのスケベデブおやじ」の表現は「老が見え隠れするひとを見るのはイヤ!」と直言しないための「女達の知らず知らずの思いやり」だと思う。 見かけに拘ることはない。見かけに拘っても、いずれ老は避けられない。拘るべきは必ず精神だろう。けれど「老になる前に成すべき精神の鍛錬とは何か?」の明確な認識がまだ得られない。考えてみよう。けれど「老になる前に成すべき精神の鍛錬」が明確になるまでは、見かけや肉体に拘ってみてもいいだろう。 50を過ぎても、まだ恋ごころは保ちたい。だからこそ老の準備を始めなかればいけない。ピアノだけに拘れる人生は終わりかけているかも知れない。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年12月15日記 |
NO40 | 欠席のお詫びと近況報告 | ||
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秋も深まり、閑極まって、日々コオロギの音を耳に、午睡をむさぼったり、ストーカー的にメイルを書き送ったりしています。 年度初、松山○○会の会長を任期満了となりましたが、以降は職域関連の役職の嘱望がなく”上がり”となりました。 二人の息子は○○学部へ進学し、それぞれ留年の懸念をかかえつつも、親の祈りが通じれば3年後には卒業の見込みです。時節柄、就職を心配しています。 我が店はまずます閑散、お陰で年来の肩凝りは軽減し、食も太って腹囲は90pを超えました。夫婦ふたりキリの生活は、逃げ場なく、緊張感に満ち満ちていますが、幸い今年は阪神タイガースの躍進が有り難く、ビール片手にテレビ応援をしてシノいでいます。 15年前に手習い始めたジャズピアノは遅々として上達せず、仕方なく本年3月「○○○JAZZ STREET」というイベントを立ち上げるなど、もっぱら地方のジャズ団体の運営・維持に努めています。また、所属する「ジャズバンド(ピアノトリオ)」に”若い女性フロント奏者をスカウトすること”に情熱を傾けて東奔西走し、2名をゲット!。”ビジュアル松山一のジャズバンド”との評価を得ています。一方で、せっかくの女性奏者の横取りを狙う不埒な”おじさんジャズミュージシャン達”は後を絶たず、追い払うのに苦労しています。 「ハゲと闘え!」との宣伝に乗りまして、一時は戦いを挑みましたが、根気なく、日々ズルズルと後退を余儀なくされています。送って頂いた写真を拝見致しますに、みなさま”それぞれにそれなり”かと承りまして、もう”元気をもって良しとすべきか”の心境です。 そのような近況なので、時間はあるのですがお金がないので、今回は欠席にさせて頂きます。お金が貯まったら参じさせて頂きますので、またご案内下さい。でわ皆々さまに宜しくお伝え下さい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年10月22日記 |
NO39 | 偽のインタープレイ | ||
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自分の安定しないテンポや創造性の欠如したフレーズは棚に上げて(棚に上げるために)、「ピアノのフレーズを聴かないで、勝手に叩いてくれ!」だの「ピアノ・フレーズの空白時間は刻みを続けないで、ドラム・ソロのつもりで叩いてくれ!」だのと無理難題を押しつけて、ドラムを困らせている。私はトリオで演っていて「ピアノ・アドリブのときに”ピアノを弾かない長い空白”を創りたい」と願っている。「自分がフレーズを弾き終わったのちの長い空白にベースとドラムが絡み合って流れる時間を”至福のとき”」と感じるのだ。そしてベースとドラムの演奏に更に絡み合うようにピアノのアドリブを重ねていく。そんな音創りを夢見ている。インタープレイの一種なのだろうか?。インタープレイがしたい。インタープレイの雰囲気を味わいたい。日々その思いが募り焦燥にかられる。だから、折角の(と本人は勝手に思っている)空白時間が「ただ単に進行を保ちながら、ピアノが入ってくるのを待っているだけの趣(おもむき)」だと哀しくなるのだ。 インタープレイ(もどき)が出来るための条件がある。第一にピアノが「フレーズを綺麗に弾き終えて終止すること」が必須だ。また、ドラムが基本的なスウィング・パターンを刻んでなくても、テンポは正しく維持されなければならない。けれど私はいつまでたってもフレーズを正しく終われない。テンポが乱れる。だからドラムはメトロノーム替わりに基本パターンを刻み続ける。その結果いつまでたってもインタープレイには発展できない。これが私が考える現状であり悪循環の輪だ。 私は生涯インタープレイは出来ないような気がしてきた。でも”したい!”。それで無理矢理にインタープレイを創ろうと思い立った。私が”弾かない時間を意識して創る”から、私がテンポを乱して汚くフレーズを終止しても、その空白時間は”ドラム・ソロのつもりで叩いて欲しい”と要望(強要)した。今のところ成功しない。無理もない。フレーズやアドリブの構成上に必然ではないにもかかわらず、乱れたフレーズの後に”不自然かつ唐突に訪れる空白時間”に対してベースとドラムが即応出来るはずがない。その”余裕”の時間で”テンポを整え直す”のが精一杯だろう。無理は承知しているのだが、それでも私はインタープレイの雰囲気を味わいたい。だから私はドラムに「長い空白を意識して創るから、何が何でも(基本パターンを刻まないで)ドラム・ソロのように自由に叩いて欲しい」と要望(強要)し続けている。 偽のインタープレイだ。インタープレイの押し売りだ。構わない。偽のインタープレイでもいいから、とにかく経験したい。その思いが高じて留めることが出来なくなった。非道が過ぎて仲間はずれにされる懸念がある。みんなの優しさだけが頼りだ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年8月27日記 |
NO38 | つらや〜 | ||
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ライブハウスでバンド練習をしていたら、尊敬する超一流プロジャズピアニストが来場した。みなさ〜ん、こういうときって辛くありませんか〜あ。でも予定された練習は一通りやり終えました。練習中、プロに”拍手”なんぞされると、アブラ汗がジンワ〜ンと浸みだしてきますゼ。つらや〜あ。10年間のバンド経験と50年を越える人生経験がなければゼッタイに”ツブれますね”。と、思いきや”うちの若い女性フルートさん”は割かし平然と吹いてるようでありまして、たいへんに感心しました。つお〜い!。どうにか尊敬する超一流ピアニストを背にして、最後までピアノを弾き続けた自分を誉めているスマタマでした。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2003年8月26日記 |
NO37 | 音楽をする心意気 | ||
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トランペットとサックスの上手なアマチュアが来ていて、急仕立てでセッションタイムが用意された。居合わせた私も配慮されて一曲参加を許された。 枯葉を指定された。「どうしようか?」と迷いながら、定型コードを小さくトレモロで4小節弾いた。「テンポを出そうか」と迷ううちに、トランペットが”かすれた呟き音”で吹き始めた。超スローバラードだ。高ぶらず、ただただ美しく32小節を歌い上げた。客も私も聞き惚れていた。その間、私はいまからの音楽時間を”何もイメージしていなかった”。否、いまどうやって”このトランペットの歌と関わっていけばいいのだろう?”と目の前にだけ必死だった。トランペットが歌い終わった。私に目で合図する。”自由に始めろ!”彼の目がそう語っている。うろたえた。バラッドのままで続けるか、リズムを変えるか?。瞬時、”無要の間”があった。いささか慌ててスロー4ビートで導入した。内心の狼狽とは裏腹に”ほ〜”というため息とさざ波のような拍手が来た。あ〜これが音楽だ。この賞賛はトランペットの心意気に与えられたものだ。今から”私が音楽を創ること”が皆から望まれている。用意していなかった。その気持ちで練習してこなかった。慣れて惰性に流されている自分の音楽精神を思い知らされた。徐々テンポアップして、16分音譜フレーズを多用して、限界が来たら次へ渡す。音楽的であるかどうかは考慮に薄い、当たり前の演奏をして自分は終わった。ようやくの思いでサックスに渡したら、いきなりテンションのロングトーンで引っ張る。その長いトーンの間に私は何をしたらいいのだろう?。「アウトに出ろ!」との心意気だと感じつつも、”どうにもならず”、バッキングは平々凡々に終始、サックスは一時アウトとしたが、絡んでこないピアノに呆れ諦めて、途中でインに戻してエンドになった。 「あ〜!ついていけなかった。ついていきたい。一緒に音楽をしたい」。悔いた。惨めで、そして素晴らしい経験だった。漫然と音楽をやっていてはいけない。歌心を懸命に忠実に磨かなければ練習の意味がない。音楽をする心意気の違いを思い知らされた。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年7月12日記 |
NO36 | ジャズをする時間がいっぱい! | ||
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アマチュア・ジャズ活動はメンバーのスケジュール調整に苦労する。”通勤に1時間以上かけている人は極めて稀(普通は30分)”という40万地方都市での活動は、地域社会を失った大都市に比べれば”断然に楽チン”なのだが、それでもスケジュール調整に難渋することは少なくない。現在50才前後のおじさんばかりが寄り合ってバンドを組んでいる。”同胞性を意識した所作”だが、それだけでもない。なにしろ、メンバーのスケジュール調整が楽なのだ。若者達との時間調整は苦労が多い。昔は夜間働いているのは、交通とか医療とか公共性の高い事業と水商売だったが、現在は24時間営業の店・食品提供の業種・警備保障など夜間勤務の業種は多い。ナウい職域とされるコンピュータ関連の仕事も夜間作業が少なくない。その夜間勤務業種に勤める若い人達が実に多い。新しい業態であることや体力に配慮した人事配分が、若者を夜間の仕事に就かせている。昼間の仕事の若者でも予定が立ちにくい。「”忙しい時期”に残業がある」というのなら予定がたつが、「いつ残業があるか分からない」と言われると困惑する。が、若者からすれば”致仕方がない”。残業を指示するのは上司の「おじさん」であって、若者に自主性・自己決定権はない。また、「子供が発熱した」とか「子供の運動会がある」とか「毎日曜日出かけると妻が機嫌が悪くて」とか、若い新米のお父さんは家庭運営もままならない。翻えって、おじさんは時間に自由だ。まず第一に昼間就業が多い。おじさんが就職した頃には、24時間営業の店なんてなかった。夜間作業のある職種でも、”夜間は若者に任せる風習”が儒教社会の日本には残っている。永年勤めているから”忙しい時期の残業”の予想も的確だし、役職にあれば「残業を指示する立場」だ。いざとなれば「残業を言い渡して”抜けてくる”こと」も可能だ。子供達は大学生だったり独り立ちしていて、夫婦だけの家庭だ。女遊びさえしなければ、家に居ないと言ってスネられるほどに”ベタベタに愛されているおじさん”はいない。妻達に心配して貰うほどに”女にもてる”はずはなく、精力あまって”女の争奪戦に時間と体力を費やす”こともない。等々、実に自由だ。だからスケジュール調整に苦労が少ない。約束を違えない。田舎町のおじさん達は”ジャズをする時間がいっぱい!”なのだ。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2003年7月2日記 |
NO35 | バッド・パウエルが弾いたピアノ | ||
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バーのピアノが良質であることは稀だ。「古い」とか「調律が出来てない」だけではなく、「アクションががたついている」、「ペダルがへたっている」、「鍵盤の戻りが悪い」、「一音だけ音色が違う」などなど、ピアニストが普段練習している家庭のピアノのレベルを保つピアノは滅多にない。 では「店主が音楽嫌いか?。音楽に無関心か?」と言うとそうではない。むしろ店にピアノを置き、ギャラを払ってピアニストを雇っているくらいだから、音楽が好きで、店で生音楽を提供していることを誇りにしている。なのに何故バーのピアノは総じて”具合が悪い”のだろうか?。「ピアノを買う余裕や気持ちはない」「調律代を倹約している」ということもあるだろう。それは仕方がない。一向に構わない。 さて本題だが、実は店主は「店のピアノは良い・それなりだ・このままが良い・妙な調整は不要だ」と思い込んでいる場合がある。珍しくない。何故、店主は「このピアノは良い」と思い込んだか?。プロのピアニストが「これは良いピアノだ。味のある音がする」とか「古いだけに弾き込んであって、タッチが柔らかい」とか「有名な誰々さんが弾いたピアノなら、このままで大切にされたらよい」などなど”誉めて帰った”のだという。こう言う状況の場合、うっかり「このピアノ、ここが悪そうだよ」なんて言うと「誰々のプロは”味のあるピアノだ”と言われましたよ」「プロは弾いたあと、文句言われませんでしたよ」とか切り替えされ、素人ピアニストにはいささか分が悪い。。 プロのピアニストが店主の前で語る「店のピアノに関する談話が信用できるかどうか」、尋ねたい。巷のプロは「どんなピアノでも弾きこなせる」ことを前提にしている。「”バッド・パウエルが見事に弾いたピアノ”を後で弾いてみたら”全く音のでない鍵盤”があった。バッド・パウエルは音のでない鍵盤を省いて音楽を創ることが出来たんだ。名人はピアノをどうのこうの言わないんだ。すごいね〜」。しばしば聞くジャズ寓話だ。日本では「弘法、筆を選ばず」と言う。類する格言や寓話が「このピアノは具合が悪い」と言う助言を拒み嘲笑化する。それが高じていつの間にか「このピアノは具合が悪い」とは言えない”業界の習わし”が生まれている。実は名人は道具に拘る。名医はメスに拘り、カメラマンはカメラに拘り、名工は窯に拘る。名人ではない巷のピアノ弾きも内心はピアノに拘っている。プロ・ピアニスト同士の会話では「あそこのピアノは癖が強くて弾き難いね」とかの本音を聞く。 店主はピアノ弾きではないから、自分では判断できない。判断を権威に頼る。そしてプロのピアノ弾きの助言を丸飲みする。通りすがりのプロ・ピアニストは「具合が悪い」と評価して店主の心象を悪くするギャンブルは避けるだろう。地元のプロは「充分に弾けるピアノです」と言い切るほうが就職に有利だろう。”プロ意識”が、具合の悪いピアノを「味のあるピアノ」に変貌させるのかも知れない。 あれこれと思いめぐらせてみても、「良いピアノ・悪いピアノ」は個人的な嗜好が強い。一概に良悪は表せない。素人が口を出せる領域ではない。さてさて、バーのピアノを「バッド・パウエルでなくても弾けるピアノ」にするには、どうしたらよいのだろう。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年6月25日記 |
NO34 | いつもやってるから解るでしょ! | ||
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「いつもやってるから解るでしょ!」。エンディングの合図や4バースの指示など、どのバンドでも繰り返し行っている仕様・仕草がある。繰り返し見ていて、その手法は熟知しているはずだ。だから「いつもやってるから解るでしょ!」。おじさんには辛い言葉だ。いつの間に「こんな簡単なことまで訓練しなければ出来なくなったのだろう」。 若い人は見たままを素直にやって自然に出来る。おじさん達はぎごちなくタイミングを失して立ち往生する。中年期における「物覚えの悪さ」は老年期の「ボケ」とは違う。成すべきことを頭では理解している。でも行動に移さない。行動に移さないから出来るようにならない。何故か?。「やみくもに始動して過ちを犯す」よりは「見極めるまでは静止するほうが佳良だ」とする大人の規範が行動を抑制する。それが「慣れるため」の障害になる。若者は暴走的に過ちを犯しながら大きく成長する。その過ちは「若い」として許される。反して、おじさんの暴走は「馬齢を重ねた思慮不足」と評価される。たとえ最終的には成功しても「冒険と失敗を重ねるおじさん」は”山師的”とされて必ずしも賞賛されない。経験を元に「大失敗を避け、小さな試行錯誤を繰り返しながら確実に成功を導く」のが、一般的におじさんに求められる能力だ。また、一見おじさんが暴走的に行動を起こしたように見える場合でも、実は経験に基づいた事前の準備が用意されていることが多い。だから中年が行動に移すためには、前もって、”間違い”を回避し”正しい”を確信し終える必要がある。おじさんは「いつもやっていることが何故正しいか?。間違いなく正しいか?」を確認したい。なので先達は「どのようにすれば正しいか」を言葉で説明する必要がある。「いつもやってるから解るでしょ!」とはならない。なんと!おじさんの上達とは手間のかかることよ。それでも、普通のおじさんは「正しいこと」を尋ねる耳をもって着実に成長するのがよかろうよ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年6月25日記 |
NO33 | 音楽を披露する人 | ||
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「ジャズの独り弾きをしている」とあれこれ話しかけてきていた中年男が初めて弾いた。何度も止まりテンポもむちゃくちゃだが、音選び・サウンドへの情熱と有能を知った。出来る。だから言いたい。 演奏することに関しては、如何に自分の考えや才能を言葉で披露しても、人前で弾いて表現することができなければ、それは「無」だ。「人前では弾かない」と決めてピアノを楽しむのは良い。けれどその場合、自身の音楽を言葉で披露するのは勘弁願いたい。音楽を披露する人には「時限を決めて表現を完成させて演奏すること」が求められる。 ”人前で弾いたひと”と同じ立場で語り合うためには、自分も弾くことが必須だ。仲間になるための条件だ。当初は自分の演奏の評価が気になって仕方がない。ピアノ同好会のの出演者たちも1年前はそうだった。「弾き損なった」だの、「あがってしまった」だの、「こんな風に弾きたかったのに」など、言い訳・愚痴が飛び交った。でも、最近は誰も言わなくなった。それぞれが時間をかけて、自分の心の中で「演奏するという意味」の整理をつけたのだと思う。アマチュア・ピアノの同好会は仲間を創ることが目的のひとつだ。「ピアノは上手・ベテラン」であっても、「ピアノを弾くことで友達を創る」という点では初心者の方々がいる。「友達をつくる」という目的が明確になれば、演奏は手段になる。お互いの演奏評価も「友達をつくる」という目的に添った「心配り豊かなもの」にかわる。何事も経験だ。紳士・淑女が無邪気にピアノと酒と会話を楽しみ、友をつくることが大切と思う。 追記:「人前では弾かないけれども、上達したいから尋ねるのだ」という気持ちは理解できる。私は”人前で弾かない決意のひと”と”練習法を語り合う時間を費やす寛容心”をまだ持ち得ていないことを自覚した。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2003年6月18日記 |
NO32 | 忘れかけていた感謝の心 | ||
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10年前の練習の録音が出てきた。編集をしていない生の録音なので演奏の合間の会話も残っている。「初めて8バースが出来た」「ボサノバのエンディングにミ・ミ・ファ・#ファ・ソラシドは滅多にないですぜ」「年賀状をありがとう。先週休んだね」[今までで一番いい演奏だったんじゃない?」。まざまざと状況が思い出される。拙いピアノ演奏をベースやドラムのみんなが、演奏上でも精神的にも支えているのが歴然だ。こんなにして私は育てて貰ってきたのだ。仲間の寛容と優しさのお陰で現在がある。最近しばしば「もっと自由にサポートして欲しい」とか「リズムがダルイ」とか「フロントがしっかりアドリブを構成してくれないとピアノアドリブがやりにくくて仕方がない」とか、ベースやドラム、新人のフロントにイライラをぶつけることがある。なんと私は不遜になったのだろう。与えられた寛容と優しさを後輩や仲間達に感謝を込めて還元することなく、独り苛立っている。10年前の録音が感謝の心を忘れかけていた私をたしなめている。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2003年1月20日記 |
NO31 | 健康やボケ防止のためのピアノ〜お? | ||
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健康ブームだ。うまいもの食べるにも趣味をするにも「健康にいい」という一言が挿入される。うまいものを食べるのに「健康によいかどうか」など一切無頓着な私は怪訝だ。「ジャズピアノを趣味にしています」と言って、即座に「指を動かすのは惚け防止になるンですってね」と返事が返ってきた。「いわん」とすることは分かるがつまらない。呆ける頃には運動能力が衰退するのでピアノそのものが弾けなくなる。脳梗塞を起こして運動障害が残ればピアノは弾けない。ピアニストに惚け老人が少ないという統計があるのだろうか?。などなど追求してもおもしろくもなんともない。私がジャズ・ピアノをやっているのは健康のためではない。好きだからだ。もし「ジャズ・ピアノは健康に悪い」と言うデータが出ても私はジャズ・ピアノを続ける。 だいたい「ピアノは健康に悪い」と私は考えている。座ったままのピアノ姿勢は運動不足を招来するし肩も凝る。ピアノは練習に多くの時間費やすので、当然のことながら他の行動時間を短縮する。8時間仕事をして2時間ピアノの練習をして2時間健康体操をして2時間知的趣味(読書など)をして2時間ストレス発散の作業(酒を飲み会話する)して8時間眠るのが「健康のためによい」とすれば、それだけで24時間になる。たぶん1日が30時間でも不足するだろう。「指を使うと頭が良くなる」とも言われた。惚け防止より積極的で有り難い。確かにフレーズを覚えたり理論を確認したりする作業は頭を使う。でもその程度のことで頭が良くなるのだろうか?。頭の訓練ならば科学書や哲学書を熟読するのが断然効果的だ。私はピアノを始めてから、以前にも増して頭は悪くなったと感じている。ピアノを始めてから運動不足と頭の訓練不足が悩みだ。頭の方は、読書や講演会などの出席を心がけ、加えて職域の会務の世話をする、などで多少は努めている。運動不足の方は放置してきた。ピアノが体や頭に良かったりするとは思えない。私は”好きだけが理由”でジャズ・ピアノをしている。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年12月16記 |
NO30 | もう少し様子を見てみよう | ||
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「50才を過ぎたら新規の練習はしない。それまでの技術の範囲で音楽性の向上を目指す」と思ってきた。50才になってみると「意外に元気だ。もう少し新しい練習に挑戦してみよう」と気が変わった。だけど「やはりしんどい」。新しい練習をしようと思うと1日2時間が必要だ。2時間の練習は苦痛になった。1時間がしんどい日も多くなった。職域やジャズ団体の会合に出席しながらのピアノの個人練習は、時間的だけではなく肉体的にも辛い。なによりあまりにも運動不足だ。運動不足で衰えた体力を短時間で鍛え直すことが難しくなった。毎日の運動を心がける必要がある。肉体を維持するために時間を割く必要が生ずる。新規の作業がだんだん難しくなる。予想はしていた。それがやってきたのだろうか?。もう少し様子を見てみよう。酒が抜けにくくなったのなら、酒量と機会を減らせばいいだろう。今まで以上に計画性が求められるかもしれない。結論を急ぐ必要はない。慎重に厳格に自分を見つめ直してみよう。50代は私独りの経験ではない。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2002年9月19記 |
NO29 | 思春期は取り戻せない | ||
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私はいまでもロック小僧だった。生来の気性もあるだろうが音楽が激しくなる。「ロックは激しい」と言いたいのではない。弾いていて昂揚すると、エレキギターのギューンやギャンギャンのイメージが沸き起こってくる。先日ボサノバを演奏して、ドラムがロック・フィーリングを叩いた途端、思いもよらずハードロックのフレーズを弾いた。憶えていると自覚していなかった。ジャズ・フレーズが突然思い起こってくることはない。中年以降、さほど好きでなくなったロックフレーズが蘇り、最近14年間聞き続けているジャズフレーズは憶える端から日々消えゆく。音楽心も真のジャズになりきれない。思春期はどうにも取り戻せない。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2002年9月19記 |
NO28 | 五十男の初ステージ | ||
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40年来の友人がピアノを始めた。始めて半年目に酒場での発表会に参加した。渋っていたのだが周囲の誘いに決意した。3分足らずの小編曲だが見事に弾ききった。私は彼に五十男の意地と賢明と懸命を感じ取って嬉しく誇らしかった。彼の初ステージが成功体験であったことに安堵し羨ましかった。私も初ステージは成功体験だった。半年に1回のおさらい会で4回目までは成功感覚だった。5回目に大きな失敗をした。本番直前に仕掛けが変わって、それに対応できなかったのだ。私の4年目の苦悩(バンドに入りたい、入れない等の悩み)はその日から始まったと思い起こす。 半年に1回のおさらい会での失敗の解消は半年を待たなければならない。毎週・毎日人前でピアノを弾いているプロやアマチュア(週2回はどこかで弾いている現在の私がこれにあたる)の失敗は翌週・翌日に解消できる。初心者は半年を待たなければならない。半年は永い。性格によるとは思うが中年以降の男は失敗体験を忘れない。「失敗は成功のもと」というが失敗に意義があるのではない。それを知る中年の男が、失敗を取り返す機会を与えられることなく、半年間待っている。失敗のままの半年は本当に永い。最初のおさらい会で失敗してそのまま辞める人は多い。当然の選択だと思う。大人になって以降、不可欠ではない失敗体験が人生の糧になるとは限らない。「ピアノを弾いて恥をかくことが人生の糧になる」とは私も信じない。成功体験の大きな重なりの中に小さな失敗が盛り込まれることが人生に喜びを与える。だから先達の指導は「失敗をさせないことを最重要としなければいけない」と常々思っていたが、実際に友人のピアノに助言をしようと思うと実に難しい。私が何をしたわけではない。案ずるに及ばず。彼は自分で考え自力で成功を得た。50歳男の意地と賢明と懸命を知って40年来の知己として誇らしかった。そして彼の強運を羨ましく思った。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年9月3日記 | ||
NO27 | す〜は〜・す〜は〜 | ||
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息づかいが逆だった。「ピアノから息づかいが聞こえてこない」と指摘されて、呼吸を意識して弾いてみた。「なんしよん、息づかいが逆ジャン」。吐いてから弾き始めていた。苦しくなると途中の適当なところで吸気していた。しっかり吐き終わってから、さっと吸気するのがいいらしい。ぜんぜん呼吸が出来ていなかった。「歌いながら弾いてみんさい」。やってみた。メロディーだけなら出来る。けれど左手のバッキングまで歌うと呼吸が出来ない。うッう、苦しい。バッキングにはバッキングの息づかいがあるらしい。ようするに、ピアノを弾いているときの呼吸が「ぜ〜んぜんなってない」らしい。共演者と息が合うはずがない。息づかいの練習開始。す〜は〜・す〜は〜。過呼吸になりそうだ。頭に血が上る。ピアノ弾きながら卒倒するかな。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2002年8月9日記 | ||
NO26 | 演奏のあと | ||
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卑屈にならず傲慢にならず。なかなか難しい。努力に裏付けられた自信が卑屈でなく傲慢でなく謙虚を導くと教わる。演奏をするとき習うとき、卑屈にならず傲慢にならず謙虚であり続けることが難しい。上手と演奏したあと、どのような態度をとればいいかと惑う。へっへっへとゴマカシ笑いをしたくない。犯したミスに気付かないがごとくに泰然でありすぎて、傲慢・能天気・粗暴でありたくない。聴衆に対しては「心にありがとうを呟きながらの笑顔」で処している。上手との演奏のあと、上手に対してどう処すればいいだろう。いまのところ「黙して笑顔と目礼と謝辞」に留めている。傲慢に見えるかも知れない。ありきたりの謝辞のほか、何を語ればよいかが分からない。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2002年7月23日記 | ||
NO25 | ハノンを練習したい | ||
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最近「ハノンの練習をしたい」と思う。思うだけでしていないのはハノンの練習に費やす時間と体力の自信がないからだ。8年目まではよくハノンの練習をした。もちろん初級版だ。最初はテンポ60しかできなかったのに120までテンポアップした。30番までは12キーに転調して弾いた。成果は確実に得られた。一方で膨大な時間を費やしたことも確かだ。ハノンの練習は着実な上達を得られるが当面速成の成果はない。2週後にライブが迫ったときは、楽譜の確認やイントロ・エンディングの練習を選択するほうが対時間効果が高い。毎日2時間以上の練習するのなら練習スケジュールにぜひ入れたい。が、週に3〜4時間では新しいハノンの分野に時間を割くのは辛い。バンド活動・ライブ活動が増え始めた4年前からハノン練習を辞めていた。前置きが長くなったが、今ハノンの練習をやりたいと思う。トレモロが出来ない、トリルがまずい、1オクターブの連続和音が弾けない、左右同時のアルペジオが出来ない。ハノン初歩版の31番以降の練習が足りないのが明白だ。3度重ねの音階弾きと分散オクターブはどうにか弾ける。それは必要に迫られて52番と56番を練習した成果だ。基礎技術の範囲内でしかピアノ表現はできない。子供とは違い大人はハノン(基礎練習)を忌避はしない。問題はハノンの練習の時間ををどうやって確保するかだ。この2年間音楽活動スケジュールがたて込んだ。ハノン練習するためには最低1日1時間・週5時間の練習時間が必要と思う。この練習時間以下だと、ハノンをしていてはライブやバンド新曲の練習をする時間が不足するだろう。ハノン練習は1日最長で30分とする。30分のうち10分をヴォーミングアップとして、既に出来る番号に割く。残り20分を新しい練習にする。ハノンの練習はすぐに時間が経つので、うっかりすると復習練習だけで1時間が経過する。それで疲れて、実は満足して新しい挑戦を怠る。だからヴォーミングアップは10分と決めておかないと新しい挑戦は出来ない。なんて皮算用はするが怠っている。いま心底ハノンの練習がしたい。そのためにたっぷりと余裕のある休暇と疲れのない体が欲しい。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2002年7月15日記 | ||
NO24 | 40男の趣味と病 | ||
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40代の男で趣味に熱中して病を得た例には枚挙にいとまがない。亡父が「仕事をし過ぎて死んだ奴は滅多にいないが、遊びすぎて死ぬ奴はゴロゴロいる」と言った。それは真実だが、その愚かさを述べたいのではない。40代の男がくそ真面目に趣味に没頭して病を得る現象について考えてみたい。 40歳で重量挙げを始めた友人がいた(過去形にしたが生きている)。大学時代軟式野球の経験があり、卒業後もジョギングなどスポーツに親しんでいた。強い男に憧れるきっかけがあって(薔薇族ではないと本人は言っている)ジムに通い始めた。2年間並々ならぬ鍛錬をして90キロのバーベルを挙げた。その年の記録会で100キロを上げる目標をたてた。彼は「私は今42歳だ。歳をとるにつれ記録の更新は年々難しくなるだろう。自分の思い出に100キロを経験しておきたい」と言っていた。記録が上がるごとに彼は痩せた。筋肉は太くならず細く鋼鉄のように硬くなった。記録会の前週に99キロを挙げた。その翌朝、時折起こっていた腰痛が激痛となり、起きあがることもままならず、そのまま1ヶ月間の療養生活に入った。「いま思い起こすと何故あれ程に必死になったのか不思議だ。100キロを挙げることが自分への挑戦だった。力が強いことが強い男の証明でないことは自明だ。だが自分に負けなかったと言う自身への勲章が欲しかった。僕は怠け者で楽をしようとしてきた。自分の能力の限界を確かめることなく人生を過ごしてきた。もう少しだった。今回は自分の意志ではなく運命が決めたらしい」。その後彼は腰痛のためスポーツは諦めて、ジャズ鑑賞や著作に精を出している。 アマチュア・ジャズドラマーが競争自転車にはまった。ドラムは大学時代からやっていて30歳代は毎日々々ドラムを練習していた。とても熱心だった。その彼がふと競争自転車にはまった。こちらも記録会があるとのことにて、記録に挑戦していた。ドラムはすっかり忘れた。3年目に大腿筋炎の激痛と高熱を発して自転車は厳禁となった。彼も「自分に負けたくなかった。「ドラムの練習もきついけれど、結果を数字として評価できない。結果が不明確だ。その点自転車は自分との戦いの記録が残る。いつしか取り憑かれたね。」。その後に彼の語るところを補うと、ドラムに戻ってみて自転車に夢中になった理由が分かった。結果を数字で評価することの出来ない趣味は、目標を定められないがために、自分自身で納得するしかない。しかも音楽の場合は納得という線引きは到達点ではなくて諦観点でもある。ドラムを趣味にするのが自分に向いているかどうかは今も迷いがある。 二人の友人の経験は肉体的な破綻だが、精神的破綻をきたした友人もいる。トライアスロンだった。少しづつ記録を更新するメニューを倶楽部の若い指導者から与えられて、その達成のために毎早朝トレーニングをしていた。3年ほどして、朝起きるのが辛くなり、だんだん立ち上がることが出来なくなり、起きると吐き気とめまいに悩まされ、仕事を休み始めた。切迫神経症と診断され憂鬱病の治療を1年間受けた。 私はと言うとピアノを始めて6年目に頸椎症を発症した。猛烈な肩凝りと手足の痺れだった。幸い軽症だったので半年のピアノ練習停止と首の牽引で軽快した。発症前半年はウィークデーに2時間、休日は8時間の練習メニューだった。仕事は10時間勤務だったから休憩する時間はなかった。コピー譜の練習に疑問をもち、2段譜面が読めない劣等感に悩み、スケールやフレーズの記憶が出来ないことに苛立ち、しかしそれらを修得しなければ永遠にバンドに入れないことを承知して焦っていた。当時の自分の言動を振り返ると精神衰弱の傾向が明らかだ。愚痴を言い激高しやすく鬱々として楽しまなかった。当時の私の書いた文字は異様に小さく、文章は皮肉に満ちていた。頸椎症がなかったら鬱病を発症したかも知れない、と思い巡らせて冷や汗が出る。 趣味に没頭して破綻する40男は多い。自分に負けることを恐れて限界を超えるのが特徴だ。精神力で克己することを志して肉体や精神が破綻する類型だ。自身の肉体の劣化への認識不足でもあり、それを認めない心情が発病の原因とも言える。40男にして計画性と分析力の不足と言い捨てれば易しく哀しい。しかし息子や若者に自堕落を叱り、自分を省みて自分を叱咤すると容易に陥る落とし穴だ。「遊びではないか」は慰めにも抑制にもならない。自分が好きで始めた遊びですら自分を超えられないのかと自責する。ピアノに戻って、40男にピアノを勧めて、彼にのめりこみが見えたら激励はしないでおきたい。上達を誉めるのはいい。自身の下手を言い募る彼を諭すのもいい。しかし「ひたすら頑張れ」は40男には要注意言葉だ。「よく出来ました」などと子供をあやすような言葉は反発を呼び、とどめることの出来ない無理無用の努力に彼をひたむかせる。最悪はどのような意味があるかを説明せずして次々と課題を与えて、その課題を彼がやり遂げたことを告げず(誉めることではないことに気付いて欲しい)、次へ進む、という際限のない世界に知らず知らすに引き吊り込むことだ。しばしば音楽やスポーツ指導者は幼少時に同じ手法でその世界に引き込まれたがために、その手法の40男に対する加虐性を認識していない。彼に示すべき必要な示唆は「彼がたどり着けるであろう音楽の到達点」だ。そして達成の可能性がある、その僅か下のレベルを明示すること、それが思いやりだ。適当に上手なアマチュアの演奏を目標に示すのは良い方法だ。到達不可能なレベルを夢見させてはいけない。「芸術に到達点はない」などの幼児的発言をしたり顔で言うのは最低だ。40男は達成の自覚が喜びだ。彼の肉体と精神を蝕まない到達点を明示するのが先達に求められる素養だと認識したい。しばしば「音楽を見て人を見ず」に陥りやすい。指導・助言の真の目的は、音楽という手段を用いて彼の人生を豊かにすることにある。趣味をする40男の扱いは深い認識と繊細な配慮が求められて難しい。 追補 50代になると趣味に熱中して病を得ることは少なくなるようだ。勝ちへの執着が弱まり、老を意識して諦めと用心が深くなる。替わりに趣味とは関係なく病を得て、仲間の世界から姿を消すことが多くなる。哀しい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年7月12日記 | ||
NO23 | 臨界期 | ||
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言語獲得の臨界期は3歳だ。難聴児は3歳までに言葉の特別教育を受けないと、その後に訓練を開始しても、いくばくかの言葉に関する障害が生じる。言葉を認識する第一段階の脳の活動が3歳で閉鎖する、すなわち完成するからだと考えられている。類することをサッカーでも聞いた。キック力やテクニックは15歳以降でも獲得できるが、ボールと自分の躰とを一体化して、ボールを自分の躰の一部のように接する能力は15歳以降では獲得できない、という内容だった。広く技能や能力に臨界期があるものと思われる。それが故に英才教育と称する乳幼児期教育が喧伝される。言い添えると、臨界期は必ずしも獲得能力の喪失という悲観を意味するのではない。それぞれの機能を支配する脳の完成、そして人間個体としての自立の確認だ。ピアノ教育の場合の純学問的な臨界期論議に私は無知だ。前述の言語獲得とサッカーの例から強引に推論すると、聴覚的音楽嗜好は幼児期、ピアノとの一体化感覚は15歳ということになる。言い換えれば、ジャズ感は幼稚園まで、ピアノとの一体感は中学生までだ。英才教育の要否・良否に言及したいのではない。ましてや大人になってからのピアノ練習を悲観するのでは決してない。このホームページで繰り返し述べている、大人になってからのピアノ練習の方法と目標は幼児期からの練習とは必ず異なるはずだと言うことを認識し、ピアノ練習法を論理的に工夫して、大人になってからのピアノ練習の意義と方法を深く広く語り合いたいと思う。 追記:知的能力にも臨界期はあるものと推察するが、知的能力の臨界は技能のそれに比して緩やかであると信じたい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年5月28記 | ||
NO22 | ブルースが弾けない | ||
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「ブルースが一番難しいんだ」としたり顔で言われる。「なんで〜」。「ブルース・フィーリングは教えることが出来ない本質的な感覚で、これを理解し体得するにはセンスと経験が必要だ」。なんだ、要するに教えられないってことらしい。でもとりあえず僕がブルースを弾けないのはそんな難しい理由ではない。ブルーノート・フレーズを音階名で歌えない。完全音痴なのだ。もちろん移動度だ。ブルーノートのド・ミ♭・ファ・ソ♭・シ♭・ドがラ・ド・レ・ミ♭・ソ・ドと聴こえる。なのにナチュラルな音はドレミファソラシドと聞こえる。ブルーノートフレーズを弾くときにはラ・ド・レ・ミ♭・ソ・ド、UXで弾くときはドレミファソラシド、実にあわただしい。なので滑らかなメロディーがイメージできない。この耳は中学校時代ギターを弾いていた頃に出来た。ピアノを始めてから何度かド・ミ♭・ファ・ソ♭・シ♭・ドと聴くトレーニングに挑戦した。が、全然だめだった。ブルーノートだけのフレーズだとどうにかなる。UXフレーズだけとどうにかなる。で、スマイリーのブルースは24小節ごとに2つを使い分けて、カスカスだ。「ブルースは一番難しいんだ」は「音感のあるなしを問い嘲笑するのと同義」とすねている。 もうひとつ、ブルーノートは音の方向性がないとブルースにならない。方向性とは時間だ。一定以上の速いパッセージが要求される。その速いパッセージの中で中間音階を表現するために和音も要求される。要するにピアノを弾くテクニックが難儀なのだ。スマイリーは「本質的な感覚」なんぞとかとは遙か遠いところでブルースを眺めている。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年4月23日記 |
NO21 | 頑ななアマチュア主義 | ||
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頑ななアマチュア主義を維持しようと思って頭が痛い。親しくないひとから結婚披露宴での演奏を依頼されたと仮定しよう。原則は断る。しかし断れなかった場合はどうするか?。結論で言えば、披露宴に私の席を用意してもらい、私からも形だけの祝儀を出す。これが私のやりかただ。時間を失なった上に出費だが、頑ななアマチュア主義を維持するためには仕方がない。 独奏ならばこれでいいが、バンドでの出演となるといささか難渋する。披露宴当事者に全く縁のないほかのメンバーは、祝儀の出費と時間の損失に見合う意義を見出すのは困難だ。超初心者ならともかく、一定の経験を得ると、見知らぬ人の祝儀の酒席での演奏に大きな喜びを感じる演奏家は少ない。たぶん私が仲介してバンド仲間への謝礼と難儀の釣り合いをとって解決とするだろう。しかしもし逆に私が依頼されたバンド仲間の立場だったらどうだろう。私は「謝礼を受け取らない」頑ななアマチュア主義を維持したい。アマチュア演奏者にも「謝礼でいい」との声があるが、私は「謝礼と言い換えた報酬」とみなして、この意見を採らない。「アマチュアが報酬を受け取ってなにが悪い」に関しては論争にも組みしない。妥協案として、純粋のアマチュアバンドの場合は、謝礼を個人配分せずにバンド内に残して、ジャズストリート等の旅費・宿泊費等の活動資金に充てる。 「席も謝礼も不要だ」は正論だ。アマチュアは「表現する場を与えられること、それが報いの全てだ」という理念だ。依頼する側に深い礼節があれば私はそれがいいが、礼節を強要するのは難しい。バンドの中にも考えの違う人がいる。それが当然だ。演奏収入を生計の補助にしているひともいる。実際に断り切れないバンド仲間内外の義理もある。妥協はしばしば済し崩しに全ての規範を奪うが、頑なに過ぎると偽善・欺瞞になって嫌らしい。拘りすぎて友を失わないように気をつけたい。拘りを忘れてアマチュア主義を失わないように心したい。アマチュア主義を考えて頭が痛い。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2002年3月25日記 | ||
NO20 | 12キーでスケールを弾けるようになりなさい | ||
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とりあえず12キーでスケールを弾けるようになりなさい。よく聞く助言だ。イオニアン・ドリアン・エオリアン・・・・ミキソリディアン・オルタード・・・・・×12。いったいどのくらいあるのだろう。真実だけど役にたたない(実は努力はしてみた)。40を過ぎたへたくそアマチュアがミキソリディアンやオルタードやリディアンス7スケールを憶えるのは、たったひとつの調性感で1曲をアドリブするためだ。12キーを自在にするためではない。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2002年2月25記 | ||
NO19 | エレキ・ピアノ | ||
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「洒落たレストランでライブをしよう。ピアノはないからエレキ・ピアノを持ってきて」。ギターのひとたち、フォークやロック系の仲間はよくこう言ってくる。「アマチュア・ミュージシャンは要請があったら断らない」を信条にしているから参加するが、私はエレキ・ピアノが苦手だ。というより嫌いだ。「アコースチック・ギター弾きにエレキ・ギターを弾かせているのと同じだ」ということに気がついてくれているだろうか?。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年12月18記 | ||
NO18 | 世紀の大変貌 | ||
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「え〜ピアノ・トリオのCDおせ〜て」とメイルした。レスあり。「澤野工房がえ〜ですよ。ハマッてます」。「澤野工房?。替わったバンド名やな。レコード屋に行って聞こう」。ふと思い立ってウェッブ検索。なんと、レコード会社名。再びメイル。で〜オススメの中から5枚を月曜午前中に注文。水曜午前中宅配便到着、代払い。早い!。注文してからオカネの工面をしていては間に合わない。で、今聴き中。どれもよ〜い。あたりよ〜し。ヨーロッパふ〜味。ジックリ聴いてチンドンリズムのスマタマはヨーロピアンジャズピアノに世紀の大変貌を遂げるか、ぜんぜん変わらないか。 「後日談」ぜんぜ〜ん、変わらなかった。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年12月17記 | ||
NO17 | よい演奏をたくさん聴きなさい | ||
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「よい演奏をたくさん聴きなさい」と言われる。感性の鍛錬には必須だ。けれど聴くだけの感性とピアノの前に座っての感性は別物のようだ。CDで聴いて感性を高めても、ピアノに座って一音弾いたとたんに、全てが失われるのをしばしば感覚する。自分の肉体(自分の音)に引きずられて、自分が弾けるレベルまで感性を貶(おとし)めているのだろうか。高い感性を維持するためには、楽器はしない方が有利だとも思える。聴くだけのひとの音楽評論がしばしば辛辣で攻撃的であるのは、貶められない感性を維持することが許されているからだと私は思っている。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年12月13日記 | ||
NO16 | イチロー | ||
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イチローが「競争相手の打率は自分ではコントロール出来ない。首位打者は人との比較だから、自分の満足とは別物」と言った。「自己の到達を自己評価するだけだ」とも彼は言っている。ここまでは一見謙虚に聞こえるけど「”私にとっての一通過点を人がどうこう評価する(賞賛する)”ことにいちいち構ってはいられない。勝手にやってくれ」に類する発言は、天才を授かった若者の傲慢だ。才を授かったひとも”歳をとり畏れを知れば”、才に与からぬひとたちからの”賞賛への感謝の念を第一”とする。イチローを貶めたいのではない。いつも評価される若い天才の有り様と処世とは、私には理解できない世界だ。 同世代の成功者の言葉を聞いて発奮する若者たちがいる。「音楽はひとの評価で左右されるものではない。大切なのは自己表現の到達度の自己評価である」と言い換えることは、おじさんにはたやすい。でも言わない。これに類する言葉を若者が発したとき、おじさんは黙って聞きおく。若者には可能性がある。彼らがおじさんになる日に私はこの世にいない。論争すべきことではない。 凡庸なおじさんの自己評価はいつも哀しい。凡庸のピアノは「自己満足を楽しむのだ」と思っている。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年11月1記 | ||
NO15 | オジバンで〜ッス | ||
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オジバンで〜ッス。お見知りおきをお願いしま〜す。今日が初練習。店に着いたら立錐の余地もない満員御礼。「お〜!これはオジバン結成祝い・ファンの会大集合!」。な〜んてことはなくって、学生のライブの流れらしくセッションで盛り上がっている。初練習は「いきなりむさぼらず、あせらず、し〜っとりと始めるのだ。」と心きめていたのに〜〜アワアワアワ〜。でも、さすがおじさん達。一見は泰然自若。バンド交代して「おずおずと初音合わせ」と思ったら、なんとセッションの申し出あり。鷹揚にして歓迎。オジバンはいきなりセッションで始まったのだ(彦星さんと織姫さんが初夜で乱交した気分だった)。練習後は4人で20数杯飲んで和気藹々。てなわけで〜、来年平均50歳見込みの松山おじさんジャズバンドがスタートした。とりあえずの愛称は「オジバン」だ。そのうち、カッコーいい名前をつけたい。応援をよろしく 。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年10月2日記 | ||
NO14 | ノーサイド | ||
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アマチュアが人前で音楽を演奏する意味はなんだろう?。ピアノをはじめてからずっと考えている。始めは上達しない”苛立ち”からだった。いまも汚い音楽を世に垂れ流す罪に惑っている。 いまは”こう言い訳”をしている。アマチュア演奏者と聴き手は、しばらくの間、弾き手と聴き手という立場に別れて、ともに生きて同じ場にいる喜びを分かち合う。たとえ聴き手がその場にいることが義理人情のしがらみの帰結であっても、その場を共有していることに意味がある。そしてとりあえず、その場は弾き手と聴き手という二手に別れている。「二手に別れる」という非日常性が大切なのだ。音楽に限らない。素人がするスポーツの観戦も同じだ。草野球でもプレイヤーと応援団に別れてその場を楽しむ。そこにひとが居ることを相互に喜び合い感謝する。それが地域に密着した文化・娯楽なのだと思う。そして終わった瞬間に、演奏手と聴き手の二手に別れた非日常から、普段の友達・仲間・家族に戻り溶け合う。その緊張感と開放感、そしてそのあとに訪れるより深い親近感と友情がアマチュアの音楽の意味なのだと思う。プレイボールとノーサイドなのかもしれない。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年7月27日記 | ||
NO13 | 確かめるのが怖い | ||
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ピアノを始める前の10年間はゴルフをしていた。社会人になって必然の進路と思った。練習は人並みにした。月3回はゴルフ場通いをした。早朝ゴルフにも行った。遠征もした。過激練習を遠因とする肋骨骨折もした。HDはずっと36だった。上達する友達がまぶしくねたましかった。日進月歩を語る友との会話がつらかった。もちろん何度もやめようと決意した。その度に「お前にもできるさ」「そのうち花咲くさ」「逃げると人生後悔するよ」などなど友の叱咤激励に支えられて翻意した。それでもとうとう気がついた。僕は「この遊びが好きじゃない!」。ゴルフをやめたことを宣言して半年後、友達が口を揃えて言った。「スマイリーはゴルフやめてよかったぜ。お前のゴルフはひどかった」。 それから1年、なにをしようか考えているときにジャズピアノに出会った。お盆休みだった。街へ散策に出かけて、ふと目にとまったポータトーンを包んでもらった。その半年後にはピアノが家にあった。「ジャズピアノに替えてよかったのかな?」と時々思う。もし「や〜〜めた」と宣言したら、半年後には「スマーリーはやめてよかったぜ。お前のピアノはひどかった。」と言うかな。確かめるのが怖くてやめられない。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年5月8日記 | ||
NO12 | 応援してね | ||
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デュオでライブをやっていて超満員。ジャズが好きで集まった人が多いらしいのだが、その割には無茶苦茶うるさい。なのに、1曲終わるたびに拍手は興る。不思議な雰囲気だ。僕は飲む気で来ている。家防法(家庭崩壊防止法というものらしい)発令中、12時帰宅命令。ロックでグイグイいく。「ライブの終わりに1曲する?」と声がかかる。断らないのがスマイリー流。早速作戦開始。知り合いのおねーさま方の席へ行って声をかける。自己紹介。知らない人も紹介してもらって自己紹介。出番で呼ばれたら「応援してね」と笑顔で手を振る。これ、ちょっと恥ずかしいけど大切。座っただけで拍手。イントロしくじっても声援。1曲終わってアンコール。2曲目はさらに酔いが回ってメロメロだったけど、破顔一笑でまた拍手。いい気分。応援してくれたおねーさま方へのお礼の挨拶回りを忘れない。席を渡って飲みに飲む。ひょっとして一夜の恋が生まれるかも、、、。なんてことは全然なくって午前様帰宅。泥酔。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年4月30日記 | ||
NO11 | なんて幸せなんだろう | ||
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「聴いてくれている人がいるところで弾きたい、弾けるようになりたい」と思った。練習している場所がライブハウスなのでたいてい客がいる。少なくとも客がいることを想定している。だから本来の僕の希望は叶えられているはずなのだが、思ったほど楽しくない。というより、とても苦しい。「なぜだろう?」と訝っていた。 普段は3〜4人しかいない店に団体客がきた。初めはちょっと緊張して始めた。演奏を楽しむ人もいたが全然興味のない人もいる。数曲するうちに客席は大騒ぎ、ドラムも聞えないほどの喧騒。それでも”曲が終わると盛大に拍手が来る”という訳の分からない状態。「終われということかな?」と思うとそうでもない。「次!」の声もかかる。 なんて幸せなんだろう。こんなに気楽に音楽が出来るなんて!。人がいるところで弾いていて聴かれていることを意識しないでいい。共演者は喧騒に呆れながらも淡々と続けている。共演者からも技量や音楽性を評価されない。とにかく弾いていればいい。気楽だ。いつまででも続けていたい。終わったら客席に向かって「ありがとう」をこころに思いっきり笑えばいい。なんて幸せなんだろう。 自分よりうまい演奏者が聴いているときはだれでも緊張するらしい。僕はいつもその状況で音楽をしている。評価が頭から離れない。終わっていつもにがい。照れ笑いよりほかに逃げ場がない。帰って録音を聴いてみた。喧騒に漂う4ビート。いいんじゃない。いい雰囲気。ジャズに喧騒はよく似合うんだ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年4月20日記 | ||
NO10 | 絶対音感のひとの調性感 | ||
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私は相対音感だ。絶対音感で音楽を語る人とは行き違いが多すぎて音選びに関する会話は出来ないと思っている。だいたい絶対音感の人の調性感とはどのようなものなのかが僕には分からない。移動度の僕はドレミファでしか聞えないのだから、わかる音はすべてドレミファで聞える。だから「ドレミファと聞える」ということが即ち調性感だ。ドレミファで聞えない人達(絶対音感の人達)が、そのフレーズが「どの調での調性感を維持しているかどうか」をどうやって判断しているのかが分からない。ひょっとすると彼らは調性感そのものを必要としていないのかも知れないと思う。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年3月19日記 | ||
NO9 | 憧れの合宿 | ||
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私の音楽に関する劣等感のひとつは、学生時代の合宿を経験していないことだ。ジャズ研に入部して間もない”つたない”学生が、合宿を終える度に目を見張る勢いで成長する様を見てきた。相応な年齢に相応な環境を設定することが、人をどれほど大きく成長させるかを痛感する。私は学生時代に歴史研究という合宿に参加したことがある。寺社の遺跡を探訪して柱石の大きさや間隔を測る作業をした。キツイ合宿だったので当時は後悔したが、その後遺跡をみて太古の人々を推定する作業は「是非なく実証主義に基づきながらロマンする」という感覚で深く心に残った。知覚点の所在が分からない深部知覚だ。私はそのような感覚をジャズに対してもっていない。それは体験者との埋めることの出来ない距離として焦燥になる。合宿の経験がない。惹け目がよどむ。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年3月19日記 | ||
NO8 | 中年アマチュアの練習時間と練習法 | ||
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人生の繁忙期にある中年アマチュアが個人練習に使える時間は「週に3日、総時間5時間」程度だと思う。この時間では12キーを練習する時間はない。中年が楽しみにする音楽の練習とは本質が違うと思う。 アマチュアジャズピアニストの練習は”普通であるべきだ”と思っている。曲目を決める→その曲のコードを確実の弾けるようにする→曲を暗記する→コードのフレーズ集を練習する→予定のテンポの20%増しのテンポで弾けるようにする→イントロとエンディングの練習をする→アドリブの構成を考える→自分なりの曲想を考える→曲を通した練習をする。この方法でも1曲に20時間は必要だ。即ち1曲1ヶ月だ。この繰り返しだと信じている。1年で12曲、10年で100曲程度だろう。40歳は50歳に、50歳は60歳になる。こうして覚えた100曲で老年を楽しむのことになるのだろう。本当はもう少し音楽学的に基本的で、しかも中年に適した方法を知りたいのだが、いまのところ「週に3日、総時間5時間」で中年がジャズを練習する方法は、それぞれが自分で考えるしかないようだ。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年3月18日記 | ||
NO7 | 40歳以降の暗記力 | ||
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3年目の頃、サックスのKさんが「僕は20歳代に毎日毎日フレーズを覚えた。それを引出しから出してきてアドレブをしている。アドリブをするならフレーズをたくさん覚えなくてはいけない」と教えてくれた。それから僕も随分と頑張ったけど結局覚えたフレーズが実践では出てこない。5年たってKさんにそのことをグチったら、Kさんは「実は僕も最近思い立つことがあって新しいフレーズを覚えようとしているのだけれど、ぜんぜん覚えられない。練習して帰りの車の中で口ずさもうと思ったらもう忘れていたりする。これではどうにもならない」と言われた。Kさんは50歳だった。思春期・青年期と40代では単純な暗記力は大きく違っている。また暗記したものを瞬時反応的に出す作業は、暗記力とはまた別の能力で、暗記力以上に年齢変化があるように思える。中年に対して「暗記の重要性」を助言するのは”ある種加虐的”かもしれない。「暗記の重要性」は真実だが、中年に即した「暗記だけに頼らない方法やアプローチも指導して欲しい」とは「ないものねだりのわがまま」なのだろうか。 それで僕なりの方法を2つ。ひとつ目はフレーズ全体ではなく「きっかけと着地音」だけを覚える方法。たとえばUmは「根音から半音ずつ下がって5度に行き、そこからは手なりでいって、X7の最後はオルタードの有名フレーズで終わる。」とかの覚え方だ。結構役に立つ。ふたつめはメロディーは無視してリズムだけを覚える方法。「タ〜タタリラリタリラタ、ター」ってな具合だ。この方法で割りとメロディーも近いものが出て来たりする。「あほやな〜」と自分でも思うが、記憶力が薄くなった中年は中年なりの方法を見出さないと「どないにもならんわい」とも思う。おじさん仲間各々の創意工夫を交換したい。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年2月12日記 | ||
NO6 | Satin Doll は難しい | ||
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Satin DollはUXだけで構成されているので、UXのコード練習に適している。しかもキーがCなので初心者の教材としてよく使われる。私も3曲目はこの曲だった。でもこの曲は今の私にも難曲なのだ。極論だが、私は初心者にはSatin Dollを薦めないほうがいいと思っている。理由は、まず1小節の間にUXが変わる。頻回のコードチェンジは基礎練習に適しているとも言えるが、初心者には難しくて破綻を強いている。次にメロディーが単純過ぎてアドリブの支えになりにくい。フェイクしにくいのだ。またテーマのメロディーがUX毎で完結しているので、アドリブも2小節毎のぶつ切りになりがちだ。メロディーが小節を渡って流れるイメージが湧きにくい。更にこの曲はサブドミンアントから始まるが超初心者にはトニックで始まる曲のほうが自然だ。加えて4小節目のA7→D7のドミナント進行をナチュラルテンション系で歌うことは初心者にはかなり難儀だ。コード進行を見るとバップ曲のようでもあるこの曲を、テンポ140〜160でスイングして歌うのは技術と知識とセンスを試されているかの如くだ。そういう意味で練習曲に適していると言われるのだろうが、これからジャズを楽しみたいと胸躍らせている初心者にいきなり地獄を覗かせる行為とも言える。初心者には「将来役立つ練習」よりも「今すぐにカッコよく出来る練習」を勧めることが大切と私は思う。It 's Sin a Tell a Lie、On the Sunny Side Of Street、All Of Meなど歌謡曲っぽいが、ジャズの味付けがある曲を薦めるのが佳良と思う。 | ||
Smiley(^-^)Tama | 2001年2月5日記 | ||
NO5 | バッキングのノート数 | ||
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バンドに入って1年たってから両手で弾くバッキングの練習を始めた。根音を抜いて6thや9thや#11を入れる練習だ。教則本から伺うと、左手で3ノート、右手で2ノートの5ノートが基本のようだ。まず困ったのは両手で弾く場合、左手で3ノートを瞬時に押さえることが出来ないことだった。しばらく奮闘したがモノにならなかった。それで左手で2ノート、右手も2ノートの4ノートで済ますことにした。そうすると随分と楽だった。左手の2ノートは7thならトライトーン、m7なら3度と♭7、トニックは3・6。この左手の上に右手でXやTと9thや11thなどの変化形を乗せる。もちろん別の展開型もあるが、左は基本的にこのノートで覚えた。変形だが、とりあえず根音を弾かないという原則とコード感を表現することは出来た。ジャズい感じになったしサウンドに変化をつけることが出来るようになった。ベースラインやフロントのアドリブを妨げることが減った。嬉しかった。この方法で僕はとりあえずジレンマから逃れ、両手でバッキングをすることが出来るようになった。 この癖がついて、アドリブをとるときもテンポの速い曲や右手が難しいときは、左手を2ノートでゴマカしている。右手でアドリブをする場合、左手のトライトーンの上に載る3ノート目は右手の旋律に対応して変化させる必要がある。右手でオルタードスケールを弾きながら左手でナチュラルテンションを鳴らすのはやはり不協だ。その対応を瞬時に行うことは初心者おじさんには出来なかった。でも左手が2ノートならアドリブのノートがナチュラルテンション系でもオルタードでもマイナーでも「間違い」ではない(もちろんサポートは足りないが)。ともかくも2ノートにすることで「音が濁る」ことはなくなり、右手のアドリブが自由になった。一時避難的な手段だが「左手2ノート法」は両手で弾くのが困難な初心者中年ピアニストには福音だった。今でも重宝している。将来性より、とにもかくにも明日の演奏が出来ることのほうを選択したとも言えるだろう。 当然のことながら報いは受けている。まずベースを悩ませる。2ノートではやはりコード感が希薄だ。そして何しろサウンドがうすい!。現在は左手だけのサポートときは少なくとも3ノート、出来れば4ノートを使うし、両手のバッキングでは5ノートにして厚いサウンドを目指している。 でも今でも思う。初心者おじさんに「左手で3つも4つものノートを弾きながら右手のサウンドを考えなさい」というのは酷なんじゃないかな。 |
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Smiley(^-^)Tama | 2001年2月2日記 | ||
NO4 | イントロ | ||
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バンドに入ってすぐに「イントロが大切」と先達から忠告を受けた。イントロの重要性は痛感している。が、イントロの練習はとりあえず放棄した。イントロは「テンポを出すこと」「リズムを示すこと」「調を確定すること」「曲のイメージを表現すること」などなど、その曲を左右する大切な意味がある。先輩達はその重要性を教えてくれた。 でもそう聞いてヘソが曲がった中年おじさんはこう考えた。わずか4小節程度の中で、それほどの重要なことを表現することが初心者にできるはずがない。「下手なイントロが時としてこれから始まる全曲に影響を与えるのなら、イントロは上達してテンポやリズムをマスターしてから学べばよい」と思った。独り弾きの技術が覚束ない私にはイントロは最も難しい技術だった。イントロは「ハミングで曲想を提示してカウントで出る」とか「上手のドラムやベースに任せる」とか出来る限り簡略化した。それで練習曲の出来はよくなった。 このサボリが通用したのは、「固定したバンドであること」や「ドラムとベースが上手であること」などの条件があったからだ。当然サボリの報いを受けている。「イントロが下手」「イントロのある曲が少ない」「曲の完成度が低い」「ほかのメンバーとの編成時に困る」などが現在も続く悩みだ。 イントロは50歳を過ぎたら練習すると決めていた。いまから練習だ。イントロ練習に関する悩みはたくさんある。速いテンポのイントロをどうするか、結局は独り弾きの練習だけれど克服できるか、少ないイントロパターンを使い回すためには多くのキーで練習しなければならない、有名曲に有名ミュージシャンのイントロを流用すると曲想がレコードと同じになりがちなので避けたい、などと欲をかくと自分なりのイントロを創る勉強はとてもたいへん、など山ほどある。次の「年齢的な節目」と決めている55歳までに「どうにかしたい」と思っている。 |
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Smiley(^-^)Tama | |||
NO3 | 基本的に必要な指の速さ | ||
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バンドでアドリブが弾けるための最低必要条件的な「弾ける速さ」があると思う。指が遅ければ「テンポを遅くすればよい」というものではないようだ。私が思う必要な指の速さ(音の数)とは、テンポ120ならば16分音譜フレーズ、180なら3連譜、240なら8分音譜、60のバラッドなら32分音譜だ。こう考えれば、「一秒間に8つの音が弾ける(8つの音が必要)」ことがアドリブが弾くための最低必要条件だということにならないだろうか。アクセントとかリズム感とかの問題以前に、この基礎的肉体的能力の有無が「アソリブをカッコよく弾けるかどうか」を決めていると考えている。 このことに気付いて、まずは「カッコよさ」を諦めた。「速く弾けないのだからから仕方ない」と決めて、「何故カッコよく弾けないのだろう」を自問し悩むことをやめた。そう思ったら、才能の有無だとかリズム感の欠如だとか、あれこれ思い悩む辛さがなくなった。早くさえ弾けるようになったら段々カッコよくなるに違いないと決めたら(そう思い込んだら)、気分がラクになった。 余談だが「バラッドのテーマには32分音譜はないが素晴らしい音楽だ」というような反論がないだろうか?。私はテーマとアドリブとは別のものと思っている。テーマは口上、アドリブは早口のおしゃべりだと思う。テーマより少ない音数でのアドリブ展開はめったにない。友達の掲示版にこう書いたら「テーマは2ビート、アドリブは4ビートなので、一定時間内で後者は前者の2倍のサウンドの流れを用いている」と教えてくれた。うん、ナットク!。 アドリブを弾くためには「最低限一秒間に8つ以上の音を弾く基礎的能力が必要」という私の持論だ。どうだろうか?。 |
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Smiley(^-^)Tama | |||
NO2 | なぜスケール・フレーズ練習が役立たなかったか? | ||
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スケール練習もフレーズ練習も今は役立っているが、始めてから長い間役立たなかった。役立ち始めたのは2年くらい前からだ(7年目)。 スケール練習が役立たなかった理由のひとつは私が音痴だからだ。オルタード・スケールを弾いている間、私の耳は調性感(キー感)を失う。だから次の調性に落ち着くまでスケールの中でどのように歌えばよいかは分からない。結局例えばG7→Cmajに行くためには、この音から始めてこの音で終わる、というフレーズで覚えなければ実践には役立たなかった。そんなオンチでも最近オルタード・スケールを使えるようになったのは、1拍の長さを守ることが出来るようになって、決められた長さの中で比較的自由に音創りが出来るようになったからだと思う。残念ながら、弾く前に心の中でメロディーが歌えるようになったのではない。とりあえず速いパッセージで音創りをするときに重宝している。 フレーズの場合はもっと明快だ。使えない2つの理由があった。1つはフレーズの練習時に「どのテンポで弾けるかどうか」を確認することを怠っていた。要するに速く弾くということが出来なかったのだ。また、私のもつフレーズ集にはそのフレーズが適したテンポとリズムを書いていなかった。。バップのフレーズをバラッドで弾いても「音楽的ではない」ことが多いと思う(2倍・4倍の速さで弾けばよいが・・)。フレーズを弾くテンポアップと、フレーズに適したテンポとリズムをフレーズ集から読み取ることが出来るようになってから、この種の練習が即戦に適した練習になった。 |
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Smiley(^-^)Tama | |||
NO1 | スケールを覚えることの意義 | ||
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私自身はジャズ特有のスケールは1)リディアンス・セブンス・スケール2)オルタード・スケール3)ブルーノート・スケール4)ディミニッシュ・スケール 5)ホール・トーン・スケールの5つしか出来ない(一部のコードだけだ)。このうち、どうにかスケール内で歌えるのは前3者で、後2者では歌えない。モードでは一切歌ない。調性感を維持できないのだ。 この5つのスケールは「なにを置いてでも覚えてしまうのが大切」と助言したい。「単なる音階に過ぎない」と言われると口惜しいが、散らかった音列を並べるのはもっと辛い。なにより、とりあえず音楽的にも精神的にも落ち着ける。「なにから練習を始めたらいいのか分からない」で迷っているのなら、スケール練習はとりかかりのよいきっかけになると思う。 スケール練習をしてよかったと思うことは、 1)とりあえず、次の調性に移行する手段を得た 2)それでちょっとだけ、ジャズの感じが出た 3)バッキングの和音の選択が楽になった(和音を覚えなくてもよくなる) (例えば♭7コードなら、トライトーンの上にスケール上の音を乗せればサウンドになる) 4)コード進行の理解とそれに有効なスケールの組み合わせを覚れば、初見でも最低限の伴奏は出来る。(ま、循環ものだけですけどね) 5)そんなこんなで歌の伴奏が出来る。などです。 私は音痴なのでスケールから外れられない。「ドレミのSmiley Tama」だ。それぞれが天から授かった能力の中で精一杯楽しめばよいと思っている。しかし一方でいつまでもスケールを弾いていてはいけないのも確かだ。誰もが忠告する真実だ。才能豊かな人は早いうちにスケールにとらわれず、自由の音楽世界に飛び立って欲しい。Smiley Tamaはドレミを鍛えたい。「フレーズ練習は記憶と正しい感性創り」、「スケール練習は理解と安定した構成創り」だと考えている。 |
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Smiley(^-^)Tama |
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